中野翠「備忘録として作り始めた『自分史年表』大学卒業後からを振り返り、林真理子さんや三宅菊子さん、秋山道男さんとの出会いを振り返る」
◆出会った人たちの存在もきちんと残しておきたい もう一つ、この年表には、働いてきた私自身の歩みを記録しておくだけでなく、これまでの人生で私が出会い、多大な影響を受けた人たちの存在を残しておきたいという思いもありました。 出版社のアルバイトからスタートして、今日のように自分の名前でコラムニストとして仕事ができるようになったのも、才能あふれる素晴らしい人たちとの出会いがあったおかげです。 すでに亡くなってしまった方も多いので、当時右肩上がりで発展めざましかった出版界を担った刺激的な人たちの名前を書き留めて、次の世代にきちんと伝えていかなければいけないとも考えました。 なかでも、私のライター人生に最も大きな影響を与えてくれたのが、編集者でありエッセイストでもあった三宅菊子さん。『an・an』創刊当時からの主力ライターで、8歳年上だった三宅さんは、私の「師」と呼べる存在でした。 知人の紹介で三宅さんのアシスタントになり、私もフリーランスのはしくれとして、あちこちの女性誌で原稿を書くようになったことで、念願だった実家からの独立も実現!
その頃の出来事はこんなふうでした。「76年 赤坂9丁目の6畳和室 風呂ナシ」、「77年 三宅家の近所、飯田橋のアパートに引っ越し 風呂アリ」。 じつは、一度家出を試みて、赤坂にある家賃8000円、6畳、風呂なしのアパートで一人暮らしをしてみたのですが、家主が夜中にほかの部屋のドアを蹴ったりする酒乱だったので怖くなって、1、2ヵ月足らずで浦和の実家にもどって挫折。 翌年、三宅さんのアシスタントになったのを機に、一人暮らしを実現したのでした。 秋山道男さん、林真理子さんの名前もあります。 79年に、編集プロデューサーの秋山道男さんの事務所で一緒に仕事をすることになった林真理子さんとの出会いは、衝撃的でしたね。 目立つことが苦手な私とは相反する性格で、強烈な上昇志向がまぶしかった。そんな人に接するのは生まれて初めてのことだったので、「こんな女の人がいるのか!」とビックリし、いい意味で常識が崩壊。 そのおかげで、物書きとして自分が目指す立ち位置が、おぼろげながらわかったのかもしれません。 (構成=内山靖子、撮影=藤澤靖子)
中野翠
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