「端島が歩んできた歴史は、“未来の記憶”」日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』端島監修・黒沢永紀氏が端島と東京を重ねる理由
■ついにフィクションとして映像化された端島「これが観たかった」 これまでルポやドキュメンタリー作品、さらには公式HPやイベントなど、さまざまな媒体を通して端島の魅力を伝えてきた黒沢氏。あらゆるメディアを経験したうえで、より多くの人へ端島の魅力を伝えるために近年考えていたのが、まさにフィクション作品制作への挑戦だった。「これまで誰もやっていなかったから僕がやろうと思って。でも、僕にはフィクション制作の経験がなかったので、試しにプロットを書いてみたまでで終わっていました。ちょうどその頃に本作のお話をいただき、僕としてもモチーフにするだけではなく端島としてしっかり描かれるドラマが観たかったので、ぜひ協力させて欲しいとお返事しました」と、作品への思いを吐露。 しかし、当初はここまで深く緻密に描かれるとは思っていなかったという。「脚本の野木(亜紀子)さんも取材を重ねるうちに、端島の歴史の奥深さや当時の人々の様子に魅力を感じて、より厚く描きたいと思われたのかもしれませんね」と、黒沢氏自身が端島の魅力を発見したときの思いと重ねた。 ■端島の運命と同じことが東京にも起こりうる? 取材中「端島が歩んできた歴史は、“未来の記憶”ではないかとよく思います」とふと口にした黒沢氏。これからの日本が体験するかもしれない未来を端島はすでに経験したのだという。 端島には都市機能が凝縮されており何でも揃っているが、島に水源や牧場、畑、田んぼがあるわけではなく、インフラや食料は島外のリソース頼り。そんな外部供給ありきの生活は、東京、ひいては大都市の構造に近いといえる。「水道やガス、そして電気などすべてのライフラインが外部供給。これらがストップしたら、まったく生活ができなくなります。そういう意味では、約100年前に同じことを未来都市として経験していたのが端島なんです」。 端島炭鉱は資源が枯渇して閉山したわけではない。安全かつ利潤を生み出す採炭ができなくなっただけなのだ。「まだまだ採掘できる石炭はありましたが、当時の技術開発状況や費用対効果など、さまざまな要因が重なり閉山が決まりました。悪く言えば、見捨てられたのかもしれません。でも、東京だって価値がなくなったら見捨てられて、都市機能が別のところへ移る可能性があります。人間ならそういう発想もしかねないでしょう。だからこそ、現代に生きる私たちが端島から学ぶことはたくさんあるんです」と、黒沢氏は端島と東京を重ね合わせる。