【オートバイエッセイRider's Story】鈴鹿8耐でGSX-Rが教えてくれた「理由は無くていい」
────────── レースの物語は書けない ────────── 向こうから手前のコーナーに向かって、マシンが緩やかな下り坂を駆け下りてくる。車体を傾けてカーブを抜け、そのあとに続くストレートを物凄いスピードで走り去っていく。 その、スピードたるや…。 想像を絶していた。はるかに超えていた。体がむき出しの乗り物で、そのスピードを維持しながら、さらに追い抜いたり、抜かれたりを繰り返して…。 怖くなった。情けないことに、怖くてコースから目を逸らしたくなった。もうレースを観ていられない、とまで思った。それでも目を逸らさず、しばらく目の前を走り抜けるマシンを目で追っていた。 胸の鼓動を感じた。ドキドキしてきた。何故だろう。僕は興奮していた。胸が、体が、気持ちが、いつの間にか熱くなっていた。 小説を書くからだろうか。いちいち理由や動機を考えてしまう。 主人公の行動の動機というのは、物語を書く上でかなり大切な部分だ。なぜ主人公はその行動を取ったのか、なぜそういう気持ちを抱いたのか…。それは、前の場面で起こった出来事が理由だったりするわけで、だから物語を書く人は、その中で常に《行動》と《動機》の辻褄合わせをしている。 逆を言えば、動機や理由の無い行動というのは、物語として成り立たないはずなのだ。 レースの物語は書けない、と思った。レースを観て興奮する気持ちの理由がよくわからず、うまく言葉にできそうになかった。そもそも、物語にするときに込める伝えたいメッセージも考えられなかった。このスピードに、果たして教訓みたいなものがあるのだろうか。 想像をはるかに超えていたスピード。スピードを追い求めることは、人間にとって良いことなのだろうか。大体、何のためにスピードを追い求めるのだろう。 そんな次元で語るモノではないのかもしれない。人間は昔から《最速》を求めて熱狂してきた。これは人間特有の本性なのかもしれない。