長引く避難生活、ピアノ弾き心明るく 輪島の紺谷さん「もう少し頑張ろう」 金沢・大野町小が音楽室提供
能登半島地震を受けて金沢市内に避難している紺谷ふさゑさん(81)=輪島市河井町=が、大野町小で趣味であるピアノの練習に励んでいる。避難生活が長引く中、「前を向いて生きるためにもピアノを弾きたい」と演奏場所を探していたところ、加藤政昭校長が「力になりたい」と音楽室の提供を約束。久々に鍵盤に触れた紺谷さんは「おかげで気持ちが明るくなった」と学校の協力に感謝している。 紺谷さんは輪島市内で保育士として働き、定年後に自宅のピアノで本格的なクラシック曲の練習を始めた。しかし、元日の地震で自宅が被災し、輪島中の避難所を経て1月7日に津幡町に住む長男宅へ。4月から金沢に移り、木曳野3丁目の老人ホーム「ケアハウスゆりの里」で家族と離れ離れの生活を送る。 施設には能登から避難してきた高齢者が他にもいるが、先が見通せない中で「周囲の人たちから気力がなくなっていくのを実感した」と紺谷さん。生きがいだったピアノを演奏したいとの思いが強まり、施設周辺の公民館や学校を回る中で、5月上旬に加藤校長と出会った。 加藤校長は昨年度まで能登町小木小の校長を務めており、震災後は同校に開設された避難所の運営に協力した。被災者の苦労を目の当たりにしたこともあって紺谷さんの境遇に理解を示し、放課後の午後3時半~4時半に音楽室を使えるようにした。 ピアノが心身の癒やしになっているという紺谷さんは「つらい日々だが、今は諦めずにもう少し頑張って輪島に帰りたいと思えるようになった。上達していつか子どもたちの歌の伴奏をしてみたい」と笑顔を見せた。 加藤校長は「震災を知ってもらうという意味でも、紺谷さんの演奏を子どもたちに聴かせる機会を設けることを検討したい」と話した。