嬢に酔って抱きつく、ビールを飲み逃げ、ヘビを店に持ち込む…大正時代の「痛客」「キモ客」のむちゃくちゃすぎる「行動」
「嬢と客」の悩みは今も昔も
ストーカーによる痛ましい事件から早1ヵ月が過ぎた。今年5月8日に起きた「新宿タワマン殺人事件」。東京・新宿のタワーマンション前で平澤俊乃さん(25歳)が、自称配達業・和久井学被告(51歳)によって、胸や背中など数十ヵ所を刺され、命を落とした。 【一覧でみる】大正時代のキャバクラ「痛客リスト」を発掘、ヤバすぎる行動にあ然… この事件で注目を集めたのが、2人の関係性だ。 平澤さんが過去、ガールズバーやキャバクラに勤務する中、和久井被告は客として頻繁に来店。あくまで「嬢と客」の関係でしかなかったが、和久井被告が一方的に愛情を募らせた結果、'22年にはストーカー行為に及び、その2年後、今回の事件につながった。 「お客様がストーカーになってしまいました」。水商売の世界において、こうした不安はいつの世も尽きない――。 ストーカーのみならず、必要以上に飲ませてくる、過度なボディタッチをする、暴言を吐く……。こうしたハラスメント行為を平然とやってくる客は、「痛客」「キモ客」と呼ばれ、キャストにとっては常に頭を悩ます存在だ。 実は、大正時代にも、今の世に通じる「痛客」「キモ客」がたくさんいたのをご存じだろうか。
「美人が多い」店に群がってきた
キャバクラのルーツは諸説あるが、一般的には明治末期に誕生した「カフェー」に辿り着く。現代の「カフェ」とは少し違い、女給が隣に座り、お酒も提供する店だった。 会話を楽しみながら女給と“疑似恋愛”を楽しむといった様は、まさに今のキャバクラさながら。それゆえに当時の言葉を使うなら「女給を張る(口説く)」客も少なくなかったという。 数あるカフェーの中でも、とりわけ「制服が可愛い」「美人が多い」と当時評判を呼んだのが、明治44(1911)年に銀座で創業した「カフェー・ライオン」だった。1階はビヤホール、2階がレストランと余興室、そして3階が、現代的にはVIPルームと同じ個室となった「大箱」で、特に大正期に入って繁盛した。 しかし、客が多ければ、それだけ「痛客」たちも当然増える。当時の女給たちの苦悩を示す興味深い資料がある。その名も「カフエライオン鼻つまみ番附」(銀座社発行『銀座』大正14年8月号掲載)だ。