釣り人、魚料理店主、タワマン住民……それぞれの豊洲市場移転問題
7月2日投開票の東京都議選の争点の一つである市場移転問題。小池百合子都知事は、都議選告示の3日前に、豊洲に中央卸売市場を移転させ、築地の跡地を「食のテーマパーク」として再開発する基本方針を発表した。一般の都民や観光客が訪れる場外市場は、当初からの計画通り築地に残る。観光資源的な築地ブランドを守りながら、プロの取引の場はまずは豊洲の最新施設に移る方向性が決定的になったと考えて良さそうだ。 投開票を間近に控えた6月28日の夜、筆者は真新しい豊洲市場の目の前の海に釣り糸を垂らしていた。筆者も含め、東京23区の沿岸地域と縁が深い者も、一市民として市場移転問題に一定の関心を持っている。そうした利害関係のない“無党派層”の意見を聞くとともに、「食のテーマパーク」に絡んで内外の観光客に話を聞いた。(内村コースケ/フォトジャーナリスト)
人工埋立地への漠然とした不安
「このあたりの海側は都民にとってはホッとしない場所だあね」。まだ一部が未開通の環状2号線上にある有明北橋から釣り糸を垂らしながら、相棒の釣り仲間、H君がつぶやいた。電気ウキを投げた東雲(しののめ)運河のすぐ横は、真新しい豊洲市場の水産卸売場棟と冷蔵施設棟だ。その先には、レインボーブリッジなどが輝く東京湾岸の夜景が広がる。我々の背中側にある青果棟とともに、市場は今すぐにでも入居できそうな雰囲気だが、門にはフェンスがはりめぐらされたままだ。市場全体を取り囲むように海沿いに作られた『ぐるり公園』の遊歩道も、既に完成している。釣り糸を垂れるのに絶好のポイントに見えるが、こちらもフェンスに阻まれて入ることはできない。だから、かかった魚を引き上げられるか微妙なところではあったが、仕方なく水面まで高さ10メートル以上ある橋の上から釣ることにしたのだ。
僕と同じ昭和40年代生まれのH君は、大田区大森の第一京浜の東側、環七との交差点の近くで生まれ育った。江戸時代から埋め立てが繰り返されてきた東京湾だが、大森の東部はもともと海辺だった。昭和に入るころまでは、H君の実家のすぐそばに海水浴場があったという。今も海苔問屋が営業するなど昔の漁師町の名残はあるが、その先には平和島、大井埠頭、城南島と、広大な埋立地が広がる。H君が「ホッとしない場所」と表現したのは、「本物の地面」が途切れた、それらの人工の土地のことだ。 「築地市場を起点にする新大橋通り・海岸通り。あのあたりがもともとあった陸地の海岸っぷちということになるけれど、そういう感覚が東京人には今も生きていると思うよ。こっち(豊洲を含む今の沿岸)は人工だよ、ゴミの島だよ、汚いよ、という感覚はどうしてもあるね」 大森の北隣の品川区で少年時代を過ごした僕も、『私たちの品川』という社会の教科書で、かつては自分たちの学校のすぐそばに海があったと習った。自転車で少し遠出ができる年齢になると、今は青果などを扱う大田市場になっている東京港野鳥公園の隣接地に、ハゼ釣りなどに行ったものだ。でも、とてもそのハゼを食べるという感覚はなかったし、東京湾の食物連鎖の頂点にいるセイゴ(スズキの幼魚)が釣れても、「セイゴは食えないよ!毒だよ!」が合言葉であった。H君も、現大田市場の湿地帯に一緒に行った友人がメタンガスかなにかの臭いにやられて倒れてしまったという経験があるそうだが、科学的な見地は別にして、僕ら東京の海寄りの地域の育ちの人間に、上記のH君のセリフのような感覚があるのは確かである。 豊洲市場の土壌や地下水の汚染問題は、なぜここまで紛糾するのか。僕は根っこに、この都民の漠然とした埋立地不信があるように思えてならない。ほとんどの人は、土壌に基準値を超える汚染物質があるからといって、それが直接私たちの口に入ったり、市場の魚を通じて健康被害がもたらされたりするとは思っていないだろう。「食の安全の観点から言えば『安全』なんだろうけど、『安心』はできない」という感情が、土壌汚染問題を長引かせていると感じる。