のど仏専用の骨つぼ、通夜の前に火葬、墓前でピクニック…?日本各地に残る驚きの「弔い事情」《火葬場職員も衝撃》
元火葬場・葬儀屋職員の下駄華緒さんが、1万人のご遺体を見送ってきた経験を元に原作をつとめた『最期の火を灯す者 火葬場で働く僕の日常』(漫画:蓮古田二郎)が、重版を重ねるヒット作となっている。 【マンガを読む】「火葬場で働く僕の日常(4)」無料公開はこちら 10月31日には、最新刊となる『最期の火を灯す者 火葬場で働く僕の日常(4)』が発売された。その衝撃的な内容が、ネットを中心に話題沸騰中だ。 4巻目では一般人がほとんど知らない火葬場のディープな内容まで紹介されている。
のど仏専用の骨つぼ“舎利箱”
本記事では、地域ごとの風習にちなんだエピソードを紹介しよう。みなさんは“舎利箱”という名前を聞いたことはあるだろうか。 「“舎利”とはお釈迦様のご遺骨のことです。のど仏(第二頸椎のこと)がお釈迦様の姿に見えることから、お舎利様という地方があります。 とある地域では、のど仏専用の骨つぼまであるといいます。それを舎利箱と呼ぶのです」(下駄さん) 日本には、多様な弔いの風習が各地に残されてきた。 「全国的には一般に、通夜や葬儀のあとに火葬を行いますが、一部の地域では葬儀の前に火葬を行う“前火葬”が習わしになっているところがあります」(下駄さん)
弔いの風習はさまざま
豪雪地帯だと縁故者が葬儀に参列するまでに時間がかかるため、ご遺体の腐敗を防ぐ目的で、先に火葬を行う習慣が広まったのだという。 「葬儀の話ではありませんが、故人を偲ぶ風習でいうと沖縄には“シーミー”(清明祭)があります。4月、二十四節気の清明節の頃に親族でそろって行く、先祖のお墓参りのことです。沖縄のお墓は本州のものより敷地がずいぶん大きいのですが、そこでお酒やごちそうをいただきながら、みんなで親睦を深めます。一見、お墓の前でピクニックをしているように見えるので驚きますよ(笑)。春頃に沖縄のコンビニに行くと『シーミー予約はじめました』というポスターをよく見かけます」(下駄さん) また、今ではもうほとんど残っていないそうだが、鹿児島県の与論島では江戸時代の終わりまで“風葬”の風習があったのだという。 「ご遺体はハンシャと呼ばれる崖に葬られていましたが、明治になり衛生面の懸念から行われなくなりました。その後は最近まで土葬文化が続いていました」 与論島に火葬場ができたのはなんと2003年、21世紀に入ってからのことだ。それ以前は、ごく一部の希望者以外は、土葬で死者を弔っていたのだという。 だが、どんなかたちを取ろうとも、遺された者が死者を悼む気持ちに変わりはない。 後編記事『「遺骨を見て激しく喜び始めた」「赤い袋を取り出し…」若い女性の火葬で、中国人の遺族が見せた「驚きの反応」《火葬場職員が明かす》』では、下駄さんが外国人の火葬に立ち会ったときのエピソードを紹介する。
週刊現代(講談社・月曜・金曜発売)
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