大阪の酉年は何があった? 堺筋・阪急乗り入れ、駅前第4ビル完成など
2017年は酉(トリ)年。12年ひと昔で、大阪の60年を振り返ろう。トリにふさわしく、にぎやかで騒がしく、ときにけたたましい1年だったのか。確かに大阪万博のあわただしい準備に追われたことも、ありましたなぁ~。元新大阪新聞編集局長のライター・岡村雅之が大阪の酉年を振り返る。 【拡大写真と動画】梅田ビル群や通天閣も望める 大阪・なみはや大橋 歩道から眺める「初日の出」に歓声
1957年:海を見つめる西村捨三翁像を建立
ベイエリアの天保山公園にある西村捨三翁像。端正な表情を引き締め、西の大阪湾を見据える。西村は明治期、大阪築港工事事務所の初代所長を務めるなど、大阪港の近代化に貢献。今から60年前の1957年(昭和32)10月、大阪港開港90年を記念し、西村を慕う有志が顕彰碑として建立した。 大阪港は早くから商都大阪の玄関口として栄えてきたものの、国際港として大型船舶を迎え入れるには、喫水が浅い。西村は人工的な港湾施設を作る国内初の本格的築港プロジェクトを推し進めた。おりしも今年は大阪港開港150年。「大阪港の父」とも称される西村の業績を再評価する動きが活発化しそうだ。
1969年:地下鉄堺筋線と阪急の相互乗り入れ開始
48年前の1969年(昭和44)、全国で学園紛争の嵐が吹き荒れた。大阪の大学でも、キャンパスの封鎖や封鎖解除、学生党派間の対立などをめぐり、激しい闘争が相次いだ。キャンパスに通う団塊世代の若者たちにとって、濃淡こそ違え、挫折の季節となった。 大阪市教育委員会が5月、初めて夜間中学の生徒を募集。6月には夜間中学で入学式が行われた。茨木市内で10月、ノーベル文学賞を受賞した川端康成の記念碑が完成。茨木は幼児期から旧制中学卒業期まで暮らした川端が、文学への志を温めた場所だ。 翌70年(昭和45)開催の大阪万博が目前に迫り、大阪は最終準備に追われた。4月、大阪市電が全廃。地下鉄千日前線の野田阪神~桜川間、谷町9丁目~今里間、今里~新深江間が、3回に分けて部分開通。師走の12月6日には、中央線の本町~谷町4丁目間が開通。万博本番に向けて、待ったなしのあわただしさが伝わってくる。 同日、堺筋線天神橋筋6丁目~動物園前間が開通。阪急との相互直通運転も始まり、大阪都心部と近郊エリアが直結した。