「イーロン・マスクを超える男」サム・アルトマンとは何者か? ChatGPT開発の舞台裏
サム・アルトマンの半生とGPT‐4の誕生
アルトマンは1985年4月に米国中西部のシカゴのユダヤ系家庭で、長男として生まれました。両親は弁護士と皮膚科医で大変教育熱心な家庭だったそうです。アルトマンが17歳の時、宗教的な理由からの偏見にさらされる中、全校生徒の前で自分がゲイであることをカミングアウトしました。 少年時代にコンピュータをもったときから、アルトマンはいつの日かコンピュータが自分で考えるようになるだろうと直感していたそうです。スタンフォード大学でコンピュータ科学を専攻するのですが、AIの講義を受けたのはまだAIの冬と言われる低迷期で、全然使い物にならない、という感想を持ちました。 2年生で大学を中退し、同僚と「ループト(Loopt)」という会社を立ち上げ、友人同士がどこで何をしているかを互いにシェアするアプリの展開を目指していました。ガラケー向けのアプリだったため、iPhoneのブームによりあっという間に時代に取り残される気配を感じ、この会社を4300万ドルで売却。アルトマン個人は500万ドルを手にしたといいます。 そして2015年にアルトマンは汎用人工知能であるAGIの開発に乗り出します。すでに著名だったイーロン・マスクが資金を拠出し、アルトマンを創業者として非営利の研究団体の「OpenAI」が立ち上がりました。世界的なAIの技術者を取り込みながらも、AIの世界で圧倒的な優勢を築いているGoogleに勝てるのか、という疑問の声もあったものの、やってやれないことはないだろうという結論になったそうです。 凄いAIを作ろうとしている有志団体のような雰囲気だったOpenAIは、グーグルの研究チームが発表したトランスフォーマーと呼ばれる技術に興味を持ち、それを突破口に目覚ましい展開を始めます。このとき、グーグル関係者の中でも、この技術の本当の価値をわかっている人はいなかったといいます。 AIの開発を進めるのに年間20億ドル以上の資金が必要だと考えられたため、巨額の資金調達が必要となりました。そして母体となる非営利団体のOpenAIの下に株式会社OpenAIを設立しました。その際、イーロン・マスクはOpenAIを自分の会社にしたいと主張したため、アルトマン等と決裂し、結果としてイーロン・マスクはOpenAIから離れることになりました。 その後、OpenAIはマイクロソフトの資金を得て開発を加速し、初期段階から他のAIをしのぐ性能をたたきだすGPTの開発に成功します。そして、脳のシナプスのような役割と言われるパラメータ数やデータ量・計算量を増やすことでAIの性能が進化し続ける法則を発見し、その法則を元に段階的なバージョンアップを重ね、とうとうGPT‐4の開発に成功したのです。その間にはアルトマンに対するクーデターなどの紆余曲折がありましたが、詳しい展開は本書を参照いただければと思います。