DeNA南場オーナーが渡辺恒雄氏を追悼「多くの学びを得ました」「ご指導への心からの感謝の気持ちを…」
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんが、19日午前2時、肺炎のため東京都の病院で死去した。98歳。 長きに渡り球界の発展のために尽力してきた渡辺氏の訃報を受け、DeNAの南場智子オーナー(62)が追悼コメントを発表した。 南場オーナーは「渡邉恒雄主筆の訃報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。突然のことで私自身気持ちの整理ができておりませんが、深い悲しみとこれまでのご指導への心からの感謝の気持ちをお伝えしたいと思います」とメッセージ。 「主筆と初めて1対1でお会いしたのは2011年のDeNAの球界参入決定前でした。野球にとどまらない様々な話題に会話が広がり、最初は緊張でコチコチだった私も、お部屋を出る時には主筆にすっかり魅了されていました。それ以降定期的にお会いし、戦後の日本の政治史などについてさまざまなご教示をいただきました。お話はいつも具体的で引き込まれましたが、ご自身で見聞きしたことと巷の情報を決して混同なさらないご姿勢、そして、いつも私自身の意見も述べるように促してくださるご配慮に感動し、多くの学びを得ました。お部屋で歌を歌ってくださった日の光景が今何度も私の頭の中でリプレイされています」と交流を思い返し故人をしのんだ。 最後に「もう主筆とお話できないことがとても、とても寂しく、受け入れがたく感じます。これまでの全てに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。安らかにお眠りください」と記した。 渡辺氏は1926年5月30日生まれ、東京都出身。株式会社読売新聞社社長、読売ジャイアンツ(巨人)の球団オーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長を歴任し「ナベツネ」のニックネームで知られた。副社長時代の89年、読売巨人軍の球団内で組織された最高経営会議のメンバーに選ばれたことをきっかけに球団に関わるように。その発言が球界に強い影響力を及ぼすようになり、96年にオーナー就任。記者としての知識を生かし素早く野球業界について学び、球界の制度改革や新球団の参入、ドラフトの改革など新風を吹き込み球界発展の立役者となった。