「ダサい音楽」だとレッテルを貼られた時代も…けっきょく、日本の「フュージョンブーム」は何だったのか
電子音楽の飛躍的な発展と並走
柴崎:当時の電子楽器の飛躍的な発展と並走したジャンルだったっていうのも大きいでしょうね。しかも、その電子楽器開発の最先端を走っていたのが日本の楽器メーカーだったわけで、新製品がバンバン使えたっていう環境的なアドバンテージもあった。このあたり、金澤寿和さんが件の『レココレ』6月号で詳しく論じられていました。 鳥居:森園さんの1982年作『ジャスト・ナウ・アンド・ゼン』とかは、ほとんどテクノポップみたいなアレンジの曲も入っていますよね。 柴崎:そういう視点でいうと、沢井原兒さんの『Yellow』(1982年)も素晴らしい。特に「ANTI BE-BOP」っていうラスト曲がヤバくて、ふんわりした鍵盤から始まって、途中からエレクトロニック色の強いレゲエに移行するという異色ぶりです。 鳥居:まさに、シンセサイザーと生演奏の楽器でレイヤーを作っていく手法は、この時代のフュージョンならではの面白さだと思います。 柴崎:一方で、電子楽器をの積極的な投入って、楽器演奏を前提にしたフュージョンというジャンルの自己否定とも表裏一体なんですよね。その辺りの微妙なバランスというか、独特の綱渡り感がスリルに繋がっている部分もあるんじゃないかな、と。 鳥居:それはあると思います。MIDIを駆使するはするけど、シーケンサーとかはあまり使わないで、通常のエレピと同じように超絶テクで手弾きしたりとか。 柴崎:そういう意味で極北的存在とも言えそうなのが、カシオペアの鍵盤奏者・向谷実さんのソロ作『ミノルランド』(1985年)。これはもはやコンボ形式ですらなくて、一人多重録音なんですよ。 鳥居:ザ・デジタル!っていうサウンドですよね。 柴崎:DX-7等のデジタルシンセサイザーはもちろん、ドラムマシーン、果てはサンプラーまで使っているという。雑多なSEを交えたアート・オブ・ノイズ的音像なのに、ヴァーチュオーゾ的な見せ場だらけっていう摩訶不思議な内容で……僕みたいな「邪道」主義者からすると端的に言って最高。これもオーパーツ的な一枚だと思います