「ダサい音楽」だとレッテルを貼られた時代も…けっきょく、日本の「フュージョンブーム」は何だったのか
フュージョン冷遇の時代
柴崎:まずは、エレクトリック・バードのカタログに限らず、どうやってフュージョンというジャンルに出会ったかを話しましょうか。僕は1983年生まれ、鳥居さんは1987年の生まれなので、当然ながらフュージョンの全盛期である1980年前後はリアルタイムに経験していなくて、ふたりとも後々その魅力に開眼した世代なんですよね。 鳥居:そうですね。本当にギリギリでフュージョンブームの残り香を嗅ぎながら幼少期を過ごしていた感じですね。一番印象に残っているのは、フジテレビの『F1グランプリ』(1987年-1998年放送)のテーマ曲だったT-SQUAREの「TRUTH」。 柴崎:あれはもう、僕らの世代にとっては刷り込みみたいなところがありますよね。ある時期まで日本のフュージョンっていうと自動的にF1の映像が脳内で再生されてました。あとはやっぱり、スーパーマーケットとかホームセンターのBGMの印象が強い……(笑)。 鳥居:それと、ニュース番組のオープニングとか天気予報のBGMとか(笑)。 柴崎:そうそう。包み隠さずにいえば、当時のティーンエイジャーの感覚だと、日本産であるかどうか関係なく、フュージョンって「ダサい」音楽の象徴みたいなところがあって。今思えば、完全に仮想敵として考えてました。 鳥居:そうですね。オルタナロックとかパンクと出会ったばっかりの頃の感覚からすると、あまりにも自分の日常に密着しすぎていて、そもそも「鑑賞」の対象として考えたことすらなかったんですよね。 柴崎:大体2000年前後がそういう「フュージョン冷遇」的な空気のピークだった気がします。でも、それが音楽シーン全体の雰囲気的にも個人の好み的にも、徐々に変わっていって……。
「カッコいい」音楽へ、転換のポイント
鳥居:そうですね。僕の場合、最初はやっぱりヒップホップの元ネタとかレアグルーヴ的な解釈で関心を抱くようになった感じです。ハープ・アルバートの『ライズ』(1979年)っていうアルバムのタイトル曲が、ノトーリアスB.I.G.の「ヒプノタイズ」(1997年)でサンプリングされているのを知って、フュージョンの曲がネタになるんだ、と驚いたんです。リフとかビートとか、部分部分で聴いたらめちゃくちゃカッコいいところがあるじゃんと思って。 柴崎:本来フュージョンの命であるはずの巧みなソロとかじゃなくて……(笑)。それって「邪道」かもしれないけど、レアグルーヴ以降の聴き方としてはもはやそっちが主流でしたからね。 鳥居:そう。あとは、AORの良さを理解できるようになったので、それと不可分の存在であるフュージョンが偏見なく聴けるようになったっていうのもあるかもしれません。 柴崎:僕の場合も、明確な転換のポイントがあって。多分2000年頃に、エレクトリック・マイルスとかジャズファンクからの流れでハービー・ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』(1973年)を初めて聴いて、恐ろしくカッコいいじゃん!と感動したのがきっかけですね。作曲もリズムアレンジも、リフもハーモニーも、音色も、それこそ各奏者のソロも最高。そこからウェザーリポート一派を聴き始めて。気付いたら苦手意識もだいぶ薄まっていました。正確にいうと、フュージョンと名付けられる以前の「クロスオーバー」という音楽にハマって、そこからデジタル色の強い1980年代産のフュージョンも次第に聴けるようになったという流れで。 鳥居:ジャズファンクからのルートは重要ですね。僕もチャック・レイニーとかバーナード・パーディが演奏に参加しているレコードを聴いていた流れで、気づいたらクロスオーバー期のドナルド・バードを聴いていたりとか。