被害額1億円超!日大重量挙部等の深刻な不祥事 年初から捜査か、「本当にこれだけか」の声も
〈同部幹部Aは部内に指示して、奨学金制度の対象である新入学・入部予定者の保護者に対し、同制度による納付金の免除は2年目からであるなどと虚偽の記載のある入学案内及び納付金の請求書を送付し、重量挙部の金融機関の口座に金員を振込ませます。その内、免除額に相当する金員を現金化して自己の管理下に置き、その多くを私的に使用していたことを認めています〉 当該の〈幹部A〉が重量挙部の監督と生物資源科学部の教授を兼務してきた難波謙二である。
難波はその経歴も田中英壽とよく似ている。1984年3月に田中と同じ経済学部を卒業した後、山形県の中学校教諭を経て、1988年4月から農獣医学部の体育助手として日大に勤め始めた。日大ではスポーツ実技の専任講師となり、国学院大の非常勤講師を経て2002年4月、日大生物資源科学部の助教授、さらに2011年4月には教授に昇進している。難波は助教授時代に重量挙部の監督に就任し、20年も監督をしている。日大の古参職員が説明する。
「田中元理事長はご自身が大学職員のキャリアが旧農獣医学部の体育助手からスタートしているため、難波監督にシンパシーを感じていたようです。難波監督はとてもかわいがられ、ミニ田中のように我が物顔で振舞ってきました。監督だけでなく、長いあいだ教授や助教授を兼務しているので、生物資源科学部のキャンパス内の清掃や警備の業者選定にまで口を挟んできました。それが利権化していた面もあると思います」 日大では2016年4月、三軒茶屋キャンパスに危機管理学部とスポーツ科学部が開設された。理事長だった田中はこのとき難波に対し、「スポーツ科学部の学部長にならないか」と誘ったほど目をかけていたという。
「ところが本人は頑として聞き入れませんでした。その理由は、学部長になると運動部の監督から部長に棚上げされるからです。難波さんとしては地位や名誉より、現場の監督として、学生たちから金を巻き上げるほうを優先したということでしょう」 日大の運動部では、監督の上位に立つ部長を部の責任者と位置付け、学部長がその地位に就く決まりになっている。一方、部長は部員たちに接する機会がないため、今回のような特待生の授業料をかすめ取るようなまねはできないという。