ハイダー・アッカーマンが語るトム フォード、ラグジュアリーのあるべき姿
■堅実に手に入れた成功、そして自分を取り戻すまで アッカーマンは美を追求しながら、ファッション界を横断してきた。2023年10月には、富裕層向けのカルト的なコスメブランド、アウグスティヌス バーダーとのコラボレーションを発表した。2024年には、ラグジュアリー・レイヴを意識したフィラとのクロスオーバーを発表した(万華鏡のように華やかなこのコレクションは、カナダグースでの仕事ともそれほどかけ離れていない)。その前には、ベルルッティで3シーズンにわたりクリエイティブ・ディレクターを務めた。この時期のことを、彼は「美しい旅路」だったと表現している。 アッカーマンのもと、この由緒あるレザーグッズメゾンは、よりセクシーで静かな自信に満ちたクリーンかつシャープなセパレーツで、流麗なスタイルへと転換した。多くのビッグメゾンがクリエイティブ・ディレクターを次々と解任するようになる前の2018年の基準からすれば、アッカーマンの3シーズンという在任期間は比較的短かいものだった。それでも、彼はこの時期のことを懐かしく振り返る。 「一夜にしての成功」が持て囃されるこの作為的な時代において、アッカーマンの出世はより堅実なものとして記憶されるだろう。アントワープを去った後、彼は90年代ファッションを代表する“恐るべき子どもたち”のひとり、ジョン・ガリアーノのもとでインターンを経験し、これが彼に大きな印象を残したという。 「彼は、ひとりひとりの人やモデルに語って聴かせるストーリーを自分でも信じ切っていました」と、アッカーマンは言う。「(ガリアーノの話を聴くと)彼の夢を信じ、その夢の中に入り込んでしまうんです。超能力のようなものですよ。美について人を口説き落としてしまうというのはね」 2001年、アッカーマンはこの鮮やかな世界観の構築を自分でも実践してみせた。パリでの彼のウィメンズウェア・デビューは、自身の名を冠した初のコレクションであり、自らの持ち札を出だしから切り出したものだった。つまり、ドレープを多用した、洗練されたフューチャリズムである。 何十年もの間、彼はドレープを施した生地で、体にぴったりとフィットするような、すっきりとした鋭角的なシルエットを作り出してきた。多くのデザイナーであれば、生地にハサミを入れ、縫い合わせることでこのようなシンプルさを得ようとするだろうが、アッカーマンは古代ローマのアトリエにいる名人のように生地を重ね、これを実現する。 私の向かいに座る彼は、プラダによるオフホワイトのスウェットシャツを肩に羽織り、まさにそれを実践している。しかし、アッカーマンのスウェットは胸骨のあたりではなく、鎖骨の上で巧みに袖を結ばれている。イタリアンコットンの素材が、まるで「ビエネッタ」のアイスケーキのように彼の胸を横切っている(私も自分のスウェットシャツで真似しようと鏡の前で悪戦苦闘したが、まったくの無益に終わった。私の手はハイダー・アッカーマンのものとはほど遠いのである)。 彼のブランドに投資家を惹きつけてきたのは、このような彼の技巧だ。ベルギーの起業家アン・シャペルは2013年にブランドの主要な支援者となり、オーナーとなった。しかし、ファッション業界が新型コロナウイルスの大流行で麻痺するなか、アッカーマンは多額の損失を出し、会社を去った。シャペルはライセンス契約でブランド名を保持したが、ブランド「ハイダー アッカーマン」が2020年に生産を停止したことで、法的な争いも噂された。 「自分の名前を取り戻したときは、ほっとしました」と、アッカーマンは言う。「私の名前は、私が持っているすべてです。両親から受け継いだ名前ですし、私は養子だから、両親から受け継いだたったひとつのものです。だから大切にしている。誰かがそれを奪うかもしれないと思うと……」。彼は少し間を置いて続けた。「その時期のことはあまり話したくありません」 それでもなお、この話から得られるもうひとつの教訓を彼は話してくれた。「かつては随分とナイーブでした。もし若者からアドバイスを求められたら、『夢を追いかけなさい。誰にも邪魔されないように』と言っていたでしょうね。でも今は、現実をしっかり見て、初めから弁護士を雇っておけと言うでしょう」と、彼は言う。「クリエイティブな人たちはバブルの中にいます。私たちは生地や色のことばかり考えていて、それ以上のことは考えないのです」 創作の過程も光ばかりではなかった。私は、2017年にアッカーマンがインタビュー専門サイト『The Talks』のQ&Aで、自身の抱える闇について詳しく語っていたことをぶつけてみた。「ええ、幸せではありませんでした。息ができないと思えるくらい」と、彼は言う。「何かが間違っていると自分でもわかっていたし、自分が悪い状況にいることもわかっていました。恐れのせいで、一歩を踏み出せないこともあります」 彼は、彼ほどのファッション・クリエイティブにとっては大きな悩みとなるであろう懸念を並べ立てた。「仕事ができなくなるかもしれない。ショーに出られなくなるかもしれない。それが私の世界であり、私の仕事なのです。私がそれを許したのは、このすべてを失うのが怖かったからです。今では、再び息をすることができるようになりました」 ■アッカーマン流の“セクシーさ” トム フォードはしばしば、心ではなく股間によって導かれるブランドのように感じられる。1995年にグッチでブレイクして以来、フォードはセックスを原動力にその壮大なブランドを動かしてきた。といっても、下品だったり、原始的だったり、粗野なセックスではない。華やかで、魅惑的で、この世のものとも思えないセックスである。『ドライヴ』や『ネオン・デーモン』のニコラス・ウィンディング・レフン監督が、スタジオ54を舞台にしたエロティック・スリラーを作ったとしたら、それに近いかもしれない。 トム・フォードにとっては、現実から切り離されたセックスであり、暗示の力を巧みに利用したものだ。1997年のグッチのキャンペーンでは、メタリックなヒールが彫りの深い男性の裸の胸に押し付けられる様子が描かれている。このシンプルなイメージひとつで、より複雑で生々しい千もの心象風景が浮かび上がる(ほかのキャンペーンはもっと露骨だったが)。こうしてトム・フォードは、ちょっとしたディスコの雰囲気も交えながら、エレガンスと官能のエロティック帝国を築き上げた。 トム フォードは、デザイナーの名を冠した21世紀のファッションブランドとして、誰もが知る存在となった数少ないブランドのひとつである。同ブランドはメンズウェア、ウィメンズウェア、ビューティ、フレグランス、レザーグッズにまで手を広げ、その売り上げは数百万規模に達している。元『VOGUE』の評論家ティム・ブランクスは、2014年春のショーを評してこう書いた。「トム フォードを定義する二項対立がある。ひとつは的確なコマーシャリズム。もうひとつは猥雑な官能性」。セックスはまだ売れる。特に高価なものはそうだ。 フォードが自身のブランドの売却と同時に退任して以来、フォードの後釜は一時的にしか埋まらなかった。一度は彼の元弟子、ピーター・ホーキングスが舵を取ったが、それも1年足らずのことだった。そして今、ブランドは来るアッカーマン体制への準備を進めている。この交代劇には、かの創業者も関わっているという。「電話をしてきたのは彼でした」と、アッカーマンは言う。「もちろん、何度も何度も話をしましたよ。彼の承認や支持がなかったら、このようなことはしなかったでしょう。名前がこれだけ存在感を持っている会社にとっては、とても重要なことです」 トム・フォードからの指名について、彼はこれ以上のことは語らない。アッカーマンの最初のコレクションは来年3月のパリ・ファッションウィークでデビューする。しかし、彼はこのインタビューを通して、いくつかのヒントを残してくれた。フォード同様、彼は「セクシー」という言葉をよく掲げるデザイナーだ。ただし、それは違う種類のセクシーである。 トム・フォードのセクシーさがケミカルなものだとすれば、アッカーマンのそれはエモーショナルなものだ。それはムードであり、ジェスチャーであり、時間である。彼自身が認めているように、アッカーマンは「愛をとても真剣に受け止めている」男だ。彼にとって、エレガンスとは抽象的なものであり、記憶に根ざしたものである。彼はほとんど哲学的と言ってもいい人物だ。 「私は人生で2人の重要な人物に出会いました。調香師のセルジュ・ルタンスと、最近ではミスター・ローダー。彼は92歳です」と、アッカーマンは言う。「彼らの寛大さに惹かれたのです。彼らは何年にもわたって美を追求してきました。彼らには探求の目的があります。彼らの話し方は、エレガントどころではありません。それに、彼らがこちらの目を見つめ、自分も仲間だと感じさせてくれるさま。とてもエレガントです。彼らはあなたに手を差し伸べるのです」 フォードが煌びやかでグラマラスなセックスに傾いていたとすれば、アッカーマンのそれはより魅惑の力に寄ったものかもしれない。官能的なスタイルがハリウッドを席捲している今の時代は、特にそう感じられる。「レッドカーペットにミステリアスな魅力はありません」と、彼は言う。「わかりやすすぎて、何も発見はありません。すべて目の前に見せつけられますから」 今の時代のメンズウェアは、男性たちにより実験的で豊かな表現を可能にしているのではと私は指摘した。彼は同意しない。「そんなことはありません。デヴィッド・ボウイや ミック・ジャガー、ジミ・ヘンドリックスを見てください。彼らは本物でした。彼らの人生が本物だったからです。しかし今は、単に自己顕示欲からくるものに感じられます。隣にいる人よりも大きな声で叫んでやろうというね」。彼はそう言い、肩をすくめた。「世界はうるさすぎます」 アッカーマンは、準伝統的なものとエキセントリックなものとの間の“ベン図”の中で生きているようだ。ロンドンを「とてもセクシー」だと言い、その「自由と開放感と狂気」を称賛する一方、よりコンサバティブなきちんとした身なりのルーツがあるとも指摘する。富裕層が住む西のエリアでは、人々はビスポークのスーツを着ているからだ。 ニューヨークについては、彼はそのエネルギーを愛しているという。「ある土曜の夕方、とてもシックなレストランへディナーに行きました。今でも客がドレスアップに努力を惜しまないようなところです」と、彼は直近のマンハッタンへの訪問を振り返る。「みんなスーツを着たビジネスマンで、女性もおしゃれをしていました。彼らがそれを好き好んでやっていたかは別です。真珠もあったし、ブラックドレスもありました。とてもいい光景でしたね」 トム フォードでは、SF、エレガント、静かな官能性、セクシーさといったアッカーマンの世界観のすべてがぶつかり合うことになるのだろう。「スニーカーを履かないのもいいし、背筋を伸ばして立つのもいい。靴の幅がちょっと狭く感じるのも、普段と違う座り方をしなければならないのもいいことです」と、アッカーマンは言う。「ヘアスタイルはばっちり。香水も付けている。口髭もきちんとカットしてある。それは、周りの人に対して敬意を表していることなのです」 2つのブランドでクリエイティブ・ディレクターを兼任することには、明確なプレッシャーが伴う。アッカーマンが言う「すべてが、そして誰もが交換可能」なファッションの時代には、特にそうだ。彼は多少の緊張を認めている。「私はどんな仕事でも簡単には引き受けない性格で、多くの仕事を断ってきました」と、彼は言う。「とても魅力的な名前を持った巨大なブランド、巨大な企業からいくつか話がありました。しかし、私の感性が彼らにとってプラスになるとも思えませんでした。しっくりこなかったのです。でも、今やっていることはすべて自分にとって正しいことだと感じています」 ■セレブ・クライアントたちとの信頼関係 アッカーマンの背後には、彼が大切にしているネットワークがある。ティモシー・シャラメもその一員だ。彼の最もよく知られたルックのいくつかは、アッカーマンによるものである(Netflix『キング』プレミアでの荘厳なシルバーの仕立てを思い浮かべてほしい)。ふたりは2021年にコラボレーションまで行ったことがある。彼らはペンキを散りばめたチャリティ用の限定フーディーを共に制作し、その収益はすべてアフガニスタン・リブレ(同国の女性と子どもの権利を守るために闘う団体)に寄付された。ふたりの間には友情とクリエイティブなパートナーシップがあるのだ。 「彼とは、彼のエージェントであるブライアン(・スワードストローム)を通して会いました。彼が部屋に入ってきた途端、彼に魅了されずにはいられません。彼は自分が何をしているのかよくわかっていました。自分の辿るべき道を知っているのです。5分後には、私たちは一緒に仕事をすることになるだろうと思ったし、それが自然な流れだと思いました。それから数年が経った今も同じです」 ティルダ・スウィントンについても同じことが言える。アッカーマンはジャイプールを訪れていたという理由でレッドカーペットのフィッティングを断った後、彼女と親しくなった。「20年ほど前だったと思います」と、彼は振り返る。「私は愛する人とインドに出発するところでした。パリに戻ったとき、彼女と会う時間がありました。なぜフィッティングができなかったのかと聞かれてね。私は恋をしていたからだと答えました。お互いに惹かれ合ったのはそのときです」 シャラメとスウィントンは今や彼のショーのフロントロウでは常連であり、彼らのアッカーマンに対する信頼が彼を心穏やかにさせてもいる。「彼らは私を見捨てませんでしたし、私もそれに応えました。私は忠実な人間です」と、彼は言う。「彼らも誰か別のデザイナーを選べば人生を楽にできたろうに。それでも私を選んでくれたのです」 そして、そのような自信と信頼が、アッカーマンの中の何かに再び火を付けた。「私は満足しています」と、彼は言う。「今までにないほどの自由を感じています。このような自由があれば、恐れはありません。やりたいことがあるし、続けられる。最高の友人たちにも恵まれています」 ファッションの世界では、ライフワークが実生活と切り離せなくなることがよくある。アッカーマンはクチュール、メンズウェア、ウィメンズウェア、ビューティーを渡り歩き、その過程で名前を失い、また取り戻した。コーヒーを飲み終えながら、私たちは8時間たっぷり休養をとることの利点について話し合った。彼は「素晴らしいですよ」と言いながら、シグネチャーである淡い色味のサングラス(今回はベビーブルー)をかけた。「いつかは眠れるでしょうが、今ではありません」 翌日、私は目を腫らして早起きし、サン=ジェルマン=デ=プレの整然とした石灰岩の街路を歩き回った。静かだ。夜明けのパリ、ファッションにおける数え切れないほどのキャリアの盛衰を見守ってきたこの街で、私は心が洗われるような圧倒的な静けさに包まれながら、ハイダー・アッカーマンはついに手に入れるべき幸福を手に入れたのだと悟った。 かつてのスピリチュアリストとは異なり、彼の天国は想像上の場所ではなく、心の平安にある。彼は自由だ。彼には自身のビジョンを実現する自由、夢を創造する自由がある。「私のキャリアのすべてがここへと私を導いてきたような気がします」と、彼は前日私に話していた。「重大なことですよ。ただ、私には心の準備ができていますから、そこまで重大には感じられません。それに、私の最良の時代はまだ訪れていないと思っていますから。願わくばね」 From British GQ By Murray Clark Translated and Adapted by Yuzuru Todayama