ハイダー・アッカーマンが語るトム フォード、ラグジュアリーのあるべき姿
誰もが敬意を表明するファッションデザイナー、ハイダー・アッカーマン。彼は世界で最も魅惑的なビッグメゾンを率いる準備を進めるなか、かつてないほど自由を感じている。 【写真を見る】自身のブランドからベルルッティ、ゴルチエまで。写真で振り返るハイダー・アッカーマンの足跡
19世紀、アメリカの代表的な心霊主義者たちは、「サマーランド」という考えに傾倒していた。それは私的な天国とも言うべき死後の世界で、人によって大草原の小さな家であったり、ロココ調の邸宅であったり、蝶や子羊、その他の素敵なもので満たされた木陰であったりした。 パリのマドレーヌ広場を見下ろすオスマン様式のアトリエは、それよりも普遍的な楽園のイメージにかなり近い感じがする。高くそびえる雲のように白い壁は、立派な縁取り装飾によって天井と分け隔てられており、3枚の巨大な鏡が角張った木製のベンチを囲んでいる。どこか遠くからは、ピアノの音が聞こえてくる。笑ってしまうほどの静けさだ(あるいは笑ってしまうほどフランス的というべきか、私にはわからない)。そしてこの聖域のような場所に、デザイナーのハイダー・アッカーマンが座っている。彼もここが気に入っているようだ。 「パリに住むのは大好きですよ」と、彼は笑顔で天井を見上げて言った。「なにしろ、私はフランス人ですからね。パリにいると自分を掻き消すことができます。ほかの都市ではそういう感覚はありません。どこでも人と会い、誰かと出くわしたりね。でもここではそんなことはありません」。彼は窓の外を見やり、猫のように9月の陽光に見とれながら、ひと呼吸置いて続けた。「早朝6時に自転車で走り回り、新しい道、新しい視点、新しい街角を発見するのが好きなんです。素晴らしいですよ」 地獄のような交通量のパリは、修道院のような安らぎを得る場所として真っ先に頭に浮かぶところではないかもしれない。しかし、アッカーマンのような人物にとって、匿名でいられることは当たり前には得られぬ恵みなのだ。 このファッションデザイナーは、寄ってたかって人を吊るし上げにしがちなこの業界において、ほとんど普遍的な尊敬を集めている。「クリエイティブ・ディレクターがしくじったぞ! さあ、皆で貶してやれ」という攻撃に、アッカーマンが晒されることはない。誰もが彼を気に入っているようだ。ファッション記者の最も意地悪な連中でさえ、彼を気に入っている。しかし、それ以上に重要なのは、誰もが彼に胸を躍らせているということだ。そして今、その興奮は頂点に達している。 ■カナダグース、そしてトム フォードの新クリエイティブ・ディレクターへ 今年5月にカナダグースのクリエイティブ・ディレクターに就任したアッカーマンだが、今度は正式にトム フォードの後継者に任命されたばかりだ。「これまでずっと……働いていました」と、ニューヨークからパリへの夜間飛行を終えたばかりの彼は言う。睡眠不足にもかかわらず、その顔には、捻りのきいた、かろうじてそこにあるような雰囲気の微笑みが浮かんでいる。 彼の温かみのある人柄は、Google画像検索の印象とは異なっている。検索結果には、深刻な表情のモノクロのポートレート写真ばかりがヒットするからだ。天使のような黒い巻き毛と際立った顔立ちを持つ彼はよく笑顔を見せ、親しげに身を乗り出してくる。アッカーマンは私のエスプレッソを私の手前に寄せ、開いた手のひらで静かに、「どうぞ」とジェスチャーをした。「そう、最近はとても忙しいですよ」 トム フォードの発表は、プレミアリーグの大型新人獲得と同じくらいの騒ぎを巻き起こし、同じくらいのメディアの熱狂を生んだ。『ニューヨーク・タイムズ』は「セクシーなブランドとの完璧なマッチングか」と問いかけ、Redditのファッション系スレッド「r/whatthefrockk」のあるユーザーは「彼は場外ホームランをたたき出すだろう。これは興奮を抑えきれない指名だ」と書き込んだ。YouTubeでは、スタイル評論家のFashion Roadmanが「ハイダー・アッカーマンはトム フォードのレガシーを塗り替えるか?」と題した動画を投稿した。 これは超大型の契約だ。2022年には、エスティ ローダーが21.5億ポンド(約3800億円)でトム フォードを買収している。このような大企業への参加には、利害関係者、株主、残留組への挨拶回りが不可欠であり、それ自体がひとつの仕事である。しかし、アッカーマンは常に、ファッション界の風景の中に自らの区画を築き、これを耕すことに傾注してきた。彼の畑はカラフルで、肥沃で、威厳がある。ベルルッティから、レッドカーペット、2010年フィレンツェのメンズウェア・デビューまで、彼の仕事は決して優雅さを失うことなく、まばゆい輝きを放ってきた。それは深く洗練された彼のランウェイショーにも通じるが、カナダグースでも成功を収めている。 純然たるアウトドアブランドでのアッカーマンの仕事が、ゴープコアのアイデアを取り入れたものになるのは必然だった。今年は多くの評論家がこのトレンドの終焉を見通していたのだから、厳しい局面である。多くのテックアウトドアブランドが“荒々しいシックさ”と“素朴な快適さ”の間で揺れ動いているのに対し、アッカーマンのビジョンはユートピア的なエレガンスとも言うべきものだ。 未来の気温は氷点下かもしれないが、彼の彫刻のような膨らみのあるパーカによって、北極はエメラルドグリーン、ローズピンク、エレクトリックブルーのポップなカラーで彩られるだろう。彼のエクスペディションハットはシャープで、軽やかで、ほとんどステットソンのものに近い。アッカーマンの冬の宮殿では、すべてがうまくいっている。しかも、極めて上品だ。 「刷新することが命題ではありません。それは私の目的ではないと思います。ただ、ちょっとした刺激を加えたいだけですね」と、彼は言う。「カナダグースのアーカイブには、ピンク、オレンジ、イエローといった非常に鮮やかな蛍光色が見られます。すべて、1957年に遡るものです。しかし、今は店内に入ると、ネイビーやブラックといった落ち着いた色で統一されています。だから、かつてのその要素を大事にしたいと思ったのです」 ■「ラグジュアリーの定義をはっきりさせる必要がある」 彼は子どもの頃から鮮やかさに惹かれていた。「私はアフリカで育ちました。エチオピア、チャド、ナイジェリアでね」。もともとコロンビアで生まれたアッカーマンは、仏アルザスの地図製作者の養子として育てられた。「それから、12歳のときにオランダに移りました。そこで数年を過ごした後、次に移ったのがベルギーです」。そして、アントワープ王立芸術アカデミーで彼はファッションの正式な教育を受けることになる。 ベルギーは、世界を渡り歩いた彼の少年時代の正反対のような場所だった。「あの街には馴染めませんでした。自分の過去のせいで、いつもよそ者のように感じていましたから。よそ者であることに安らぎを感じることもあります。傍観者ですからね」と、彼は言う。「でもアントワープでは、自分がいい意味でのよそ者には感じられませんでした。私は明るくカラフルな国々にいましたから。でも、こっちに来ると空は低く、手を伸ばせば届きそうなくらいでした」 それにもかかわらず、また課題の提出を怠ったためにアカデミーを退学になったにもかかわらず、ここで彼はファッションにおいて大成するための方法と、それを身に付ける方法を苦難のレッスンを通して獲得した。「軽々しいものではなかったということです」と、彼は言う。「アントワープでは、いい服を着る人に対する尊敬の念がとても強いのです。ほかの国よりも服を身に着けることを大切にしている。そこに美があるんですよ」 彼のファンタジーと機能性の間の見事な綱渡りは、30年近くかけて完成されたものだ。彼のデザインシグネチャーは、SF的でありながら贅沢であり、セクシュアルでありながら慎ましやかである。それに魅了されたハイダー・アッカーマンのファンは多い。そして、彼らファンも真剣だ。 シュトゥットガルトでモデルをしているヨハンは、ハイダーらしい火星の砂漠のような色合いのファンネルネックのスウェットがご自慢だ。「ヴィンテンド・アーカイブというヴィンテージショップで見つけたんです。(スウェットの)シンプルさが際立っていました。ステートメントアイテムとしても着られるし、普通にベーシックとしても着られるんです」 「より少なく買い、よりいいものを、より頻繁に着る」ことを奨励しているTikTokのファッション評論家フランシス・カサトリーは、アッカーマンの「シルクやカシミアのような高貴な繊維の多用」に惹かれるという。彼も、アッカーマンを数年にわたって追いかけてきたひとりだ。「私も20代でしたから、計画的に買わなければなりませんでした。初めて買ったのは、袖にシャーリングの入ったゴールドのベルベットのボンバージャケット。1サイズ大きすぎましたが、時間が経つにつれて馴染んでいきました。もう8年も前のものですが、今でも初めて着たときのように新鮮に感じます」 アッカーマン自身も、ファッションの大ファンのようだ。具体的には、マーケティングや商品の粗製濫造からは超越しているような作家たちのファンだ。「ラグジュアリーの定義をはっきりさせる必要がある」と、彼は言う。「まったく、多くのラグジュアリーメゾンが、私にとってはラグジュアリーに感じられません。昔のように夢を与えてくれないのです。私たちは売上や数字のことばかり話しがちですが、私たちには次の世代に対する責任があります。私は自分に夢を与えてくれた多くのデザイナーのことを憶えています。(イヴ・)サン=ローラン、ヘルムート・ラング、川久保玲……」 夢見る人たちは皆、利益率や損益という不眠不休の世界へと失われてしまったのだろうかと、私は彼に尋ねてみた。「何もかも失われたわけではありません」と、彼は言う。「リック・オウエンスやニコラ・ジェスキエール、コム デ ギャルソンの作品を見てください。私は彼らのことを尊敬しています」 多くのファッション関係者が過去にアッカーマンを高く評価している。「すべて過去の話でなければいいですが」と、彼は笑った。私は故カール・ラガーフェルドの名前を挙げた。単なるクリエイティブ・ディレクターというよりも、シャネルの皇帝のように感じられた人物である。彼の名前に、アッカーマンはうなずき敬意を示した。 2010年、ラガーフェルドはアッカーマンを後継者に考えていると公言した。彼は『ヌメロ』にこう語っている。「私は終身契約がありますから、私が誰に後継を任せたいか次第でしょう。今のところ、私はハイダー・アッカーマンを考えています」 アッカーマン本人にとっては最大級の衝撃だったのではないだろうか。「とても奇妙でした。もちろん、彼とは親しくしていたほうですが、そのことについて話したことはありませんでしたから」と、アッカーマンは言う。「彼の目的は、むしろ私に光を当てることだったと思います。『この男に注目してくれ』とね。彼が本当に私をシャネルに招きたかったかどうかはわかりません」 アッカーマンは首を傾げ、しばし考え込んだ。「彼はいつも私のショーの直前に花を贈ってくれました。ショーの2分前になると、私に花が届いたんです。いつもそれを、贈り物として受け取っていました。あれは……私の背中を押してくれた美しいジェスチャーでしたね」 アッカーマンはまた、ジャン=ポール・ゴルチエの目にも留まった。船乗りをセクシーにし、円錐形のブラジャーからポップカルチャーの歴史を作った偉大なクチュリエだ。2023年1月、アッカーマンはゴルチエのゲスト・クリエイティブ・ディレクターとしてコレクションを発表した。2020年のゴルチエの引退以来、ヘッドデザイナーによって守られてきた役目だ。 メンズウェア専門の記者がオートクチュールのショーに出席することは滅多にない(これらのコレクションは最も芸術的かつ綿密なもので、顧客の多くが裕福な女性である)。そのため、私はシンメトリーを描くアッカーマンの羽とビーズの巨大なコレクションを直接見ることは叶わなかった。しかし、『デイズド』のファッション・フィーチャー・ディレクターであるエマ・デヴィッドソンはこれに出席した。彼女はそのコレクションに「言葉を失った」という。 「ハイダーのジャンポール・ゴルチエ・コレクションは、私にとって最大のサプライズで、最も気に入ったコラボレーションの上位に入るかもしれません」と、彼女は言う。「何千本ものピンで作られたメンズコートがキャットウォークを歩いてきたとき、人々が息を呑むのが聞こえました。サウンドトラックの音量がとても小さかったのもあり、1本1本がお互いに上下して当たるのが聞こえ、五感に訴えてきたのです。彼は今、最もセクシーなデザイナーのひとりだと思います」 アッカーマンはショーの間、ゴルチエその人をじっと見ていた。彼の反応が最も重要だったからだ。そして驚くべきではないことに、彼もすっかり夢中になっていた。「ハイダーのショーに出席し、ランウェイに登場する見事なルックを見ていると、自分がクライアントになったような気分になりました」と、ゴルチエは言う。「私が考えていたのは、自分なら間違いなく買うだろうということでした」 「オートクチュールに携わることが、そもそも私がファッションを始めた理由でした。アトリエの人々と一緒に仕事したくてね。完全な恋心ですよ」と、アッカーマンは言う。「何時間も座って、目を酷使しながら仕事に集中している女性たちほど情熱的な人を私は知りません。彼女たちにとっては、何もかもが重要なのです」