伊東氏、星野氏、平松氏が野球殿堂入り!
平松氏も打倒・巨人に燃えた一人だ。 岡山東商のエースとしてセンバツ甲子園で全国制覇。中日にドラフト4位で指名されたが入団を拒否、社会人の日本石油を経て、星野氏と同じく巨人の1位指名の約束などに振り回されたが、1967年のシーズン途中から、この日、ゲストスピーカーを務めた土井淳氏らに説得されて大洋に入団した。 カミソリシュートを武器に、18年プレーして、最多勝2度、最優秀防御率タイトル1回、通算201勝196敗16セーブ。対巨人の通算51勝47敗は、金田正一氏の65勝に次ぐ歴代2位の記録、特に長嶋茂雄氏に滅法強く、通算対戦成績は、181打数35安打8本塁打、打率.193、三振は33も奪い、シュートで詰まらせ、内野ゴロは65を数え25打数無安打に抑えたことさえあった。ただチームの最弱時代で優勝は一度も経験できなかった。 表彰式での平松氏は「夢ではないのか」と頬をつねって「痛いので夢じゃない」と興奮した様子。 84票での当選で、もし1票存在した無効投票がなかったら1票差で落選していた。 「夢の中の夢。素晴らしい最高の名誉です。原辰徳ら若い人も入ってきたし、いずれ抜かれて無理かなと思っていた。連絡をもらったときは、思わず涙が出た」と続け、両親、家族、これまで巡りあってきた指導者の方々に感謝の意を伝えた。 大洋時代にバッテリーを組んだ土井淳氏が「巨人戦になると目の色が変わった。優勝できなくても巨人に勝てばいいと考えていた。ボールは速かったが、そこに本当に切れる、カミソリシュートが武器になった」と紹介。 「小さい頃からファンだった巨人にドラフト指名を約束されたのに、いざ蓋を開けると違った。あのときの悔しさ、今にみておれという気持ちが原動力。しかも、全国区になるには、巨人に勝たねばならなかった時代。長嶋さんに打たれれば巨人というチームは盛り上がるので、第一に子供の頃ファンだった長嶋さんを抑えることを、夜も寝ずに考えていた。自分では、長嶋さんには凄いボールがいっていたと思う。人が変わるほど集中していた。でも、原や中畑が、巨人打線の中心を打つようになって、夜眠れるようになった(笑)。おかげで成績は悪くなった(笑)」 長嶋茂雄氏も、平松氏と対戦する際には、シュート対策のため相手チームだけでなくファンにもわからないように、打つ寸前のバットをすっとずらして短く持っていたという。 殿堂入りの表彰式は、後日、改めて行われる。