日本史の偉人「意外と二面性ある」驚きのトップ3。戦国時代や幕末の偉人も、どんな二面性?
「え、この人、意外とこういうタイプだったんだ……」。実際に接してみると、これまで抱いていたイメージと違った。そういうことは、ビジネスでも私生活でも、誰もが経験したことがあるだろう。歴史人物のなかにも、そんな二面性を持った人物がいた。著述家の真山知幸氏の新著『ひょんな偉人ランキング ―たまげた日本史』を一部抜粋・再構成し、「二面性のある日本史人物」のトップ3を発表したい。 【写真】『ひょんな偉人ランキング ―たまげた日本史』(真山知幸)では分野ごとの偉人ランキングを紹介 ■あの歴史人物はどんなタイプだった?
日本史を彩る歴史人物たちがもし現代にいて、職場や学校が一緒だったら、どんなタイプの人たちだったのか? ランキング付けすることで、意外な一面をあぶり出せば、偉人たちを最も身近に感じるのではないか。そんな狙いから、50の項目でベスト3までを発表し、150人もの日本史人物を取り上げたのが、『ひょんな偉人ランキング ―たまげた日本史』である。 今回は、そのなかから「二面性」のある偉人ランキングを、筆者の独断と偏見で発表しよう。まずは第3位から!
3位:最弱なのになぜか生き残る小田氏治 戦国時代において最強の戦国大名は誰か? そんなお題が与えられたら、あちこちで議論が始まることだろう。 だが、「最弱の戦国大名は誰か?」ならば、満場一致で常陸南部を領した 「小田氏治」に決まりそうだ。氏治は重要な合戦でたびたび大敗し、居城の小田城を何度も落城させられた。 しかし、その一方で、氏治は城が奪われるたびに、奪還に動いて、取りもどすことに成功。最弱にもかかわらず、滅びることがなかったため、こう呼ばれた。
「常陸(ひたち)の不死鳥」 その戦の強さから「軍神」と恐れられた上杉謙信を相手にしたときさえも、大敗して小田城を奪われながら、のちに上杉軍がいない間に、ちゃっかり奪還に成功している。弱いのか、強いのか、よくわからん。 2位:絶好調なのにいきなり出家しようとする困ったさん足利尊氏 鎌倉幕府を打倒した足利尊氏は、情緒不安定なところがあり、周囲を戸惑わせることがたびたびあった。 足利尊氏は後醍醐天皇を比叡山に追いやり、京都を支配。光明天皇を擁立している。室町幕府を開き、順調そのもののように思えたが、本人としては行き詰まりを感じていたらしい。尊氏は清水寺にこんなお願いことをしている。