「ルイーズ・ブルジョワ展」(森美術館)開幕レポート。地獄から帰還し、魂の再生を語る
日本では27年ぶりとなるルイーズ・ブルジョワの個展「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」が、森美術館で開幕した。 本展は、ブルジョワの国内最大規模の個展。昨年11月から今年4月にかけて、シドニーのニュー・サウス・ウェールズ州立美術館で開催されたブルジョワの大規模個展をもとに、ニューヨークのイーストン財団や東京から新たな作品を加えて再構成している。企画は椿玲子(森美術館キュレーター)、矢作学(森美術館アソシエイト・キュレーター)であり、イーストン財団キュレーターのフィリップ・ララット=スミスは本展の企画監修に務めている。 森美術館館長の片岡真実は、本展の開幕に際して「六本木ヒルズの象徴的な作品となっている大きな蜘蛛の彫刻《ママン》は、多くの方に知られているが、ルイーズ・ブルジョワという作家についてや、彼女のほかの作品については、意外に知られていない」と話した。日本の美術館で開催された最後のブルジョワ展は、1997年に横浜美術館で行われた展覧会であり、「それ以外では日本での大規模な個展は少なく、とくに30歳以下の方々には見る機会がなかったのではないかと思う」(片岡)。 椿は、「ブルジョワの創作の源は家族や人間関係、そしてそれに伴う感情だと考えられる」とし、これをもとに本展を3章で構成したという。第1章「私を見捨てないで」では母との関係、第2章「地獄から帰ってきたところ」では父との確執、第3章「青空の修復」では家族や親しかった人々との関係の修復や心の解放が主なテーマになっている。 また、本展の見どころのひとつとして、各章のあいだに設けられた合計2つのコラムが挙げられ、そこではテキストとともに、初期の絵画や彫刻作品、そして1951年に父親が亡くなった後につくられた抽象的な彫刻シリーズが年代順に紹介されている。 ここで、ブルジョワが1938年にニューヨークに移住し、本格的にアーティストとしての道を歩むまでの人生を紹介しておきたい。ブルジョワは1911年、パリでタペストリーの修復工房と画廊を営む両親のもと、次女として生まれた。子供の頃、第一次世界大戦が勃発し、父親は戦場で重傷を負い、入院生活を送ることになった。ブルジョワは、父の入院先に合わせて各地を転々とする母に連れられ、幼少期に孤独感を抱いた。 終戦後、父親は家庭教師として雇った女性と不倫関係に陥り、その事実を知っている母親の沈黙は、ブルジョワにとって大きな心理的傷となった。その後、母親がスペイン風邪にかかり、ブルジョワは療養先の南仏でも母の看病を続ける日々を送るようになった。そして、20歳のときに母親を亡くし、当時は自殺を図ったものの、父親に救われた。38年にはアメリカ人美術史家ロバート・ゴールドウォーターと出会ってわずか3週間で結婚し、さらに数週間後にはニューヨークへ移住し、家族から離れて新しい地での生活を始めた。
文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)