<わたしたちと音楽 Vol. 44>松尾潔 音楽が与えてくれた、新しい視座と社会の希望
成熟度や繊細さよりもわかりやすさが好まれる
――1990年代後半からプロデュース業に軸足を移した松尾さんですが、デビューに携わったSPEEDやMISIA、宇多田ヒカルといったアーティストたちは、それまで主流だったアイドル的な路線とは一線を画した自立した自分像を歌っていたように感じます。 松尾:やはり当時のアイドルは、メガヒットを狙っているマスプロダクツでしたから、世間の最大公約数的な好みが反映されることになります。だから当時の日本の性別役割分担意識が色濃く表れていたとも考えられます。一方で僕がチームの一員としてお手伝いしたR&Bの女性シンガーたちに共通点があるとすれば、“自分の足で歩いている感じ”とでも言いましょうか。R&B自体は当然昔からあるジャンルで、日本で活性化し始めた1990年代後半は、アメリカではポップ・チャートのトップ10がほとんどR&Bだったような時代でした。日本のアーティストも全盛期のジャネット・ジャクソンやローリン・ヒル、TLCを仰ぎ見ていた。そして「人に歌わされている」という感覚が希薄だったからこそ、自立した女性像を感じさせたのかもしれませんね。 ――エンタテインメント業界のジェンダーギャップが埋まらない一因として、成熟した女性アーティストが受け入れられづらい、国内のリスナーのキャパシティやリテラシーの問題があるのではないかと思ってしまうのですが。 松尾:思春期に、日本のアイドルを見て育って「女の子ってこういうものだ」と教育されてきた人たちが、それらを卒業した後に成熟した女性のアーティストを聴くようになるかというと、そうではないのかもしれませんね。今は成熟した世界観よりも、わかりやすさが重視されているのを感じます。僕は永六輔さんや山上路夫さんが書いた歌詞が好きなのですが、3分の曲のすごく短い歌詞でも1本の映画を見ているかのように心情が深く描かれていたりする。僕もそういうアプローチをやってみたいと思うこともあるけれど、なかなか期待するようなリアクションが得られないのは、新曲に奥深さや繊細なグラデーションの世界観が求められていないのかもしれないと思います。