「頑張れる人」を無理に休ませてはいけない理由 「疲れるくらい楽しい」フェーズをどう過ごすか
「自分は疲労していた」と思うと、今度は「疲労してはいけない」と思ってしまう。でも、実際には、疲労するぐらい楽しくやっていたのです。 本当はやりたかったはずのことを、ちょっといきすぎてやってしまっただけ。だから、立ち止まって、自分の「良い加減」を探しましょうという考えです。 そのためには、「感じること」が必要です。 みなさん「何をすれば痩せるのか」「どうすれば体が硬くなくなるのか」という方法論ばかりを求めますが、まずは自分の体の状態を感じることができなければ、無理な話なのです。
■疲労は「疲れを労う」尊い言葉 疲労という言葉が、また違った言葉として出てくるといいのだろうと思います。 疲労と疲弊では、大きく意味が違いますし、疲労は、ただ「疲れた」というだけの言葉ではなく、「労(ねぎら)う」という言葉が入っているように、実は素晴らしい意味があるのです。 実際、疲労がなければ眠れません。でも、「疲」のやまいだれのイメージに引っ張られてしまいがちですよね。 本来の言葉の捉え方が、いい形でちゃんと伝わっていけばよいなと思います。何事も、見方ですから。
本書のように「休養学」という学問として広めていくことはとても大事なことです。日本の教育体制では、まだまだ間に合わない部分もありますから、民間からも取り組んでいく必要があるでしょう。 (構成:泉美木蘭)
星野 由香 :パーソナルトレーナー