上手で流麗な文章が「まるで読まれない」根本原因とは珍しいエピソードよりも熱烈に意識すべきことがある
さまざまな媒体でバズを巻き起こしてきた人気ライターで、テキストサイト「Numeri」の管理人でもあるpato(ぱと)さんですが、文章を書き始めた当初、まったく誰にも読まれなかったときがあるといいます。 そこから脱却するためにもがく中で気づいた書き方の掟を、pato(ぱと)さんの著書『文章で伝えるときいちばん大切なものは、感情である。 読みたくなる文章の書き方29の掟』より一部抜粋・再編集してご紹介します。
■人が「読みたい」と思うのはどんな文章か ぼくはかつて、誰にも読まれない文章を発表したことがある。 それはべつに、「読まれなくていいや」と思って書いたのではない。「きっと読まれるだろう、ワクワク」と思いながら書いたのだ。 だから、その文章が自分以外たった1人にしか読まれなかったとわかったときは、ひどく落ち込んだものだった。 世の中には、たくさんの文章が溢れている。誰でも発信できるようになったというけれど、注目してもらえる人なんてごくわずかだ。一般人の他愛のない日常など、たとえば、「5000円を落とした」というたんなる不幸な告白など、誰にも読まれないだろう。まあそれは僕のことなんだけど。
誤解なきよう言っておきたいのは、こういった日常の事実が悪いということではない。事実は事実でいいのだ。その「5000円落とした」という事実はたいへんに悲しいことで、筆者にとってショックなことだった。けれども、その「事象」自体に希少性はない。つまり価値がないということだ。 これが、あまり日本人が行ったことがない場所、マニアックな国だとか宇宙ステーションだとかそういった場所で5000円を落としたのなら、その情報には価値がある。だれしも、宇宙ステーションで5000円を落とした話は聞きたい。果たして落ちるのか、浮いたりするんじゃないの、それは落としたという表現でいいの、と興味津々だ。