「織田信長」はやっぱりすごかった…多くの人が意外と見落としがちな「注目すべき戦略」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
古器:歴史の中の価値創造
同じく江戸時代の士農工商の身分制度もまた、上昇志向のある人民に対して、一種の「生まれによって身分が決まるというあきらめの気持ち」を植え付けることで、戦国時代を支えた「生まれに関係なく実力で身分を勝ち取る下剋上の風潮」を一掃していった。 その代わりに、身分が生まれによって固定されることで、才能のある人が埋もれてしまい、日本に産業化の遅れをもたらした。 江戸幕府の鎖国と士農工商の二つともが、制度としての耐用年数を過ぎて明治維新につながっていったのは誰もが知るところだ。 明治期以降現代まで続く日本の学校歴至上主義(取得学位ではなく学校名を重視する考え方)、資格試験至上主義(専門家としての実績よりも特定資格にいかに素早く受かったかを重視する考え方)もまた、こうした歴史的事情から生まれているといえよう。 すなわち、江戸時代の士農工商的な身分制を解体するために、「生まれ」の代わりになる何かが必要となった。このときに利用されたのが、学歴と資格だったという説明も成り立つ。 本当は、現代のように先端知が更新され続け、学び直しが常に求められる世の中では、一時点での学力を保証するに過ぎない学校歴と資格は、現時点での知性を一切担保しない(大学としては卒業後も知性を涵養し続けられる土台を提供しているつもりだが)。 しかし、これが実質的な身分制の土台になっているため、これらを持つ人は必死でみずからの権威を誇示するし、ときにはこれらを持たない人でさえも学校歴・資格を神格化する。もとから一時点の最低限の知性しか担保していないはずの大学入試に、新たなAO/推薦入試枠が出来ただけで大騒ぎになるのは周知のとおりである。 法律もまた増改築に増改築を重ねた迷宮型建物のように、時間とともに複雑怪奇になっていく(特に租税法に顕著だ)。 条文は「例外の、例外の、例外の、例外の……」という規定ばかりになる。こうして、本当は「誰でも理解できるものでないと、誰も守れない」はずの法律が、法律家に高い料金を支払って解釈してもらわないと理解不能なものになっていく。これで法律が守れたら大したものである。 このように、歴史を眺めてみると、国家や政権は本来の目的を忘れるか、目的に対する手段が古くなるか、あるいはその両方によって滅びていく。ローマ帝国も侵略による属州拡大という政治戦略が通用しなくなった段階で滅んでいった。 この点、志半ばに終わったとはいえ、織田信長の先見の明は注目すべきだろう。 戦国大名にとって、「戦功を立てた家臣に領土を与える」というのは、ひとつの政治戦略だった。しかし、この安易な政治戦略は、日本統一が実現に近づくにつれ、新たに侵略する領土そのものがなくなるため、実行不可能になる。 そこで、天下布武が見えてきた織田信長が取り組んだのは、千利休や古田織部とともに、鎌倉時代・室町時代に流行し応仁の乱以降下火になっていた、唐物数寄的な茶道を再流行させることであった。その結果、武人たちは茶会において茶器を競って披露した。 やがて、安土桃山時代には、領土よりも唐物茶器を欲しがる武人が続出するようになった。まさに、歴史の転換点を先取りして、価値を創造する試みだったといえるだろう。こうして、土地の奪い合いから茶器という価値の創造へと舵を切り、幸せな世の中へと一歩近づいた(ただしそれは成功しなかった)。 歴史は経営の失敗によって塗り替えられていくのである。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)