没後30年・アイルトン・セナは今も若者を惹きつける。【大矢アキオの連載コラム第53回】
イタリア人がセナに親近感を抱く理由
2024年4月下旬から始まったこの企画展は、早々から好評を博した。そのため当初は会期が2024年10月初旬までだったが、11月3日まで延長された。 会場を見回してわかるのは、同館における従来の企画展と比較して若者の姿が目立つことだ。 SNS上でも、企画展にふれた投稿には若者によるものが少なくない。若い女性の書き込みも多く、「父と博物館を訪れたのがきっかけでしたが、とても感動しました」と綴っているものや、「いつかアイルトンに敬意を表して、ブラジルに行ってみたい」といったコメントがみられる。 若者に人気の理由のひとつは、時代の新しさだ。セナがF1サンマリノGPで命を落としたのは1994年。今日の若い世代は、当時物心がついていなかったとしても、後年両親からセナの活躍を聞いた者が少なくない。ビジュアルの豊富さも奏功している。カートを操る少年時代のセナをスーパー8ミリで撮影したフィルムを含め、彼が生きた時代は幸いカラー動画の記録に恵まれていた。それらのおかげで、本人が活躍した時代を知らない世代にも、親近感を与えているのである。 第二の理由としてカートもあろう。欧州では、ちょっとした町にカート場があり、上級カテゴリーにステップアップを狙う若者たちが毎週末のように腕を競っている。セナは、いわば自分たちの夢の延長線上にあるのだ。 そして第三は彼のルーツである。アイルトンの曽祖父ルイージ・セナは1893年、イタリア南部ナポリ近郊から移民としてブラジルのカショアエロ・デ・イタペミリンに渡った。現地でルイーズ・セナと名を変えた彼は、同じく南イタリアのアグリジェントから渡ってきたジョヴァンナ-マリア・マグロと結婚する。彼らの間に生まれた息子ジュアン、つまりアイルトンの祖父は、イタリア中部ルッカ近郊出身の両親をもつ娘マルチェッリーナを妻とした。 彼らの子ミルトン・ダ・シルヴァが、のちにアイルトンの父となった。俳優のシルベスター・スタローン、ロバート・デ・ニーロ、F1ドライバーのジャン・アレジなど、イタリア人は自分たちと同じ血を引く人々への親しみが強い。そうした意味で、たとえ生前を知らない世代でも、セナへの思いが生まれるのだ。 イタリア人の心情を一言で表すなら、アグリジェントの曾祖母宅跡の写真脇に記されていた「アイルトン、私たちの一人」がふさわしいのである。 【在イタリア ジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家】 大矢アキオ ロレンツォ/Akio Lorenzo OYA 音大でヴァイオリンを専攻、日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)など著書・訳書多数。シエナ在住。NHKラジオ深夜便ではリポーターとしても活躍中。イタリア自動車歴史協会会員。
文・写真= 大矢アキオ ロレンツォ 写真= 大矢麻里/Museo Nazionale dell’Automobile