有名コンサルでの業務経験が裏目に──上場AIスタートアップCEOに聞く、創業の辛酸
転機は100万円規模の小さなプロジェクト
転機となったのは、まったく縁故のない企業から獲得した100万円規模の小規模プロジェクトだった。「ニーズが明確で、前提のコンテクストも合っていた。過去の関係性に期待せず、フラットな目線で提案できた」。椎橋CEOはこの経験を、創業期における最も重要な学びの一つとして位置付ける。 「分かっていない営業は、提案の中身について個々の課題が解決できれば受注できると考えてしまう。でも、それは真因ではない」。クライアントは「御社は信用が足りない」とか「競合他社との関係が深いので」などとストレートには言ってくれない。そのため、さまざまな理由をつけて検討が長引いていく──。この"パターン"に気付くまでに、かなりの時間がかかったという。 ゼロからの試行錯誤を経て獲得した100万円のプロジェクトは、過去の華々しい実績に基づく数千万円規模の提案より、はるかに大きな価値があったと椎橋CEO。それは、スタートアップとして市場と向き合う際の、現実的なアプローチを学ぶ機会になったという。
セールスと開発の分離がもたらした危機
商談での失敗を重ねる中で「コンテクスト」の重要性を学んだ椎橋CEO。しかし、組織づくりにおいては、また別の落とし穴が待ち構えていた。 「頭だけ使ってスマートにやっていければ」──チャットbot開発プロジェクトで椎橋CEOが描いた理想的な役割分担は、スタートアップの現実の前に崩れ去ることになる。 当初の構想は明確だった。営業専門家にドアノック営業を任せ、CTOがエンジニアを率いデモ開発に専念する。そして椎橋CEO自身はCEOとして、コンセプトの構築と全体管理に徹する。行動計画とKPIを設定し、PDCAを回していく──大企業での組織戦略コンサルプロジェクトの経験やリーンスタートアップの理論などをもとに、効率的な体制を目指した。 しかし、現場では深刻な断絶が生じていた。「営業からは『こういう質問を受けたが、プロダクトがまだないので答えられない』という報告が上がってくる。一方、開発サイドは『それでも売るのが営業の仕事だろう』と考える」。両者の溝は日を追うごとに深まっていった。 さらに、スタートアップの「理想像」が、問題を複雑にしていた。「プロダクトは営業がいなくても売れるものを目指さないといけない」「SaaSのように、プロダクト自体の価値で勝負する」──一見、正論に思えるこれらの考えに、椎橋CEOも影響を受けていた。 この考えを覆したのは、共同創業者の藤原弘将氏の一言だったという。「コンテンツドリブンで売れる最も典型的な例であるアーティストでも、手売りで売れなければ、いきなりマーケティングで売れることはない」(藤原氏) 藤原氏の指摘は、問題の本質を突いていた。まずは自らお客と接しながら、ニーズに合うプロダクトに近づけていく。その地道な過程を経ずして、理想的なプロダクト主導の成長はありえない。「結果が出ない日々を過ごす中で、プロダクト開発はそんなにスマートにはいかないことを思い知らされました」と椎橋CEOは語る。 この経験は、より本質的な気付きももたらした。「AIのインパクトは、SaaS型のプロダクトとして展開するよりも、企業の持つ産業アセットと組み合わせていったときに最も大きくなる」。スタートアップの「かっこいい勝ち方」を追求するあまり、見失いかけていた本質がそこにあった。 「プロダクトを作ってセールスなしでマーケティングだけで売れていく」「労働集約的なコンサルはかっこ悪い」──ミーハーな思い込みが、むしろ成長の足かせとなっていた。この反省が、後に同社のカスタムAIソリューションという事業モデルの確立につながっていったという。