80年代、東大駒場に流れていた自由な風の正体 異色の教養シリーズ「欲望の資本主義」の原点
他には、科学史、科学哲学の村上陽一郎さんも印象深いです。「パラダイム転換」という言葉がちょっとした流行のキーワードになっていた時代で、文理を超えて、科学という客観性が命のように思われる学問のありようも「時代的文脈」によって相対化されることが議論されていた時代だった記憶があります。 面白いもので、単位などの義務感とは関係なく教室を覗くほうがリラックスして頭に入ってきて、まるで知のライブ会場にでもいるような思いで講義を楽しませていただいた感覚をよく覚えています。
当時の駒場キャンパスの空気は何か特別で、自由で開放的な風が流れていました。渋谷から程ない距離のところに突然開けた森の中の空間という感じで、そんな場所でいろいろと想像力の世界に遊ばせてもらった日々は、とても貴重な経験となっています。 20歳の頃に駒場を歩きながら、もしかしたら世間の大勢の価値観とは少しズレたところで、はぐれた気分を抱えながら生きていくことになるかもしれないけれども、その分自分にとってかけがえのない思考法とは何か、自分で考え判断できる拠り所となる“ものの見方・考え方”、価値軸のようなものを今のうちに身につけておかなければと、そんな切実感を持ちながら、日々キャンパスを歩いていたという記憶があります。
大学の学問など役に立たない、会社に入っても大学時代遊んでいた人間のほうが使える、といった発言を多くの企業人たちからも聞くような時代でしたから、それに対する反発もあったんでしょうね。単に「A」をとるような「学習」ではなく、もっと突き抜けた「学問」に4年間身体ごと浸かることに懸けようと……。 そしてそんな時を過ごす中で、カントの「コペルニクス的転回」ではありませんが、認識の仕方次第でこの世界が変わって見えること、その喜びこそが僕にとっては最も大事なことなのだと確信したのです。大学時代は、そのエネルギーを生きていくうえで核とすることを決意した、教養的マインド形成の原点かもしれません。