合理性に沿って構築された平和は、勝者の論理にすぎない─その限界をケインズは予見していた
※本記事は『経済学の堕落を撃つ』(中山智香子)の抜粋です。 【画像】中山智香子著『経済学の堕落を撃つ』
「カルタゴの平和」
ケインズが『平和の経済的帰結』で指摘した通り、第一次世界大戦の敗戦国ドイツやオーストリアの立場から見れば、大戦後の国際社会体制はまったくもって平等どころではなかった。ケインズは、敗戦国に過剰な経済的負担を強いることを「カルタゴの平和」と呼び、ローマが敗戦したカルタゴに領土を割譲させ巨額の賠償金を科して滅亡させた戦後処理と同じだとした。敗戦国の経済的負担は歪みとなり、やがて世界経済のバランスにも悪影響を及ぼすことをすでに予見していたのである。 ケインズは国際関係の具体的現実に即して、敗者に寄り添う正義と平等を主張したが、その主張は講和条約には反映されなかった。かれは当時の国際自由主義経済と平和の関係に潜むリスク、勝者だけによる戦後処理のリスクを鋭く見抜いていた。と同時に、人間が生きていくこと、食べていくことを経済学が支えなければならないという根本的な使命も認識していた。 ケインズは、戦争によって人間の生存の基盤が崩れてしまったことを憂慮していた。それまでの19世紀後半から20世紀初頭にかけて、かつて人びとがもっていた飢えへの不安、つまりマルサスが『人口論』で明らかにしたような、人口が増えると食糧が足りなくなって飢えるのではないか、貧困に陥るのではないかという懸念は、少なくともヨーロッパではおおよそ忘れられていた。 工業、農業のいずれにおいても、産業革命を経て生産規模や収益が拡大し、ヨーロッパにおける人口圧力は、アメリカからの食糧供給、また遠隔地全般からの食糧、原料の調達によってまかなわれていた。飢えや貧困は、社会主義が主張するような分配の問題ではなく、生産性の向上によって解消できると考えられていたのである。ケインズはこの時代を「幸福な時代」と呼んだ。ところがこの「幸福な時代」は、かれによれば、残念ながら世界戦争によってすっかり崩れてしまったのだ。 ケインズの指摘にあるように、19世紀後半から20世紀初頭までのアメリカは、ヨーロッパの食糧供給地であった。そして第一次世界大戦後も、ケインズの憂慮とは裏腹に、アメリカは徐々に別の場所に供給地としての立場をゆずりつつも、科学の力を活かして農業生産の規模を拡大させ、世界の胃袋を支え続けた。 ところが1929年の大恐慌以降、ケインズの憂慮がアメリカで現実のものとなり、やがて世界的な規模での危機が顕在化した。ふたたび迫り来ることになった戦争の脅威のなかで、第一次大戦の敗戦国に寄り添うことの意味もまた大きく変容した。大まかにいえば、「正義」や「平等」の理念が宗教まがいのファシズムの側に奪われ、自由主義の価値は大きく減退したのである。
Chikako Nakayama