古代ローマ「唯一最大の発明」とは? ユダヤ人に匹敵「特異な民」の強さの秘密。
もし、カルタゴがローマに勝っていたら?
――「地中海世界の歴史」でローマ文明を取り上げる後半の4冊についてですが、まず第5巻『勝利を愛する人々』の読みどころは? 本村第5巻で読んでいただきたいポイントは、ほとんどこのタイトルに集約されています。とにかくローマ人は「勝ち」にこだわるのです。 ギリシアのプラトンは、人間には「知を愛する人」「勝利を愛する人」「利得を愛する人」の3種類がある、と述べていますが、ローマ人はまさに「勝利を愛する人」であり、そのローマ人が「利得を愛する人」であるフェニキア人の国家・カルタゴと地中海の覇権を争ったのが、この巻の後半で描くポエニ戦争でした。 この戦争では、ローマだって負ける可能性はあったわけです。実際、カンナエの戦いでは、名将ハンニバルに徹底的に敗れている。でもこの戦争で「利得を愛する人」が勝っていた場合、はたしてローマ人のような帝国を築くだけの持続性があったかどうか…。ローマは何度負けても立て直す人々ですから、とにかく勝つまで戦い続けたのかもしれません。 この時代のローマは、私の造語ですが「共和政ファシズム」と呼ぶべき国制でした。王の独裁を徹底的に嫌い、国内的には共和政でありながら、外に向かっては覇権的に振る舞う。先ほど話した「祖国」という観念につながるファシズム的な性格は「困難な時ほど強さを発揮する」といわれ、アテネの民主政ともだいぶ違う社会だったのです。
暴君ネロは芸術家? 芸能人?
――ところが第6巻『「われらが海」の覇権』では、そのローマ市民が帝政を選びますね。 本村共和政から帝政への転換期は、カエサルとアウグストゥスという二人の傑物が主役となります。でも初代皇帝とされるアウグストゥスは、自分は皇帝だなんてことは言いませんし、最後まで共和政の建て前を守っています。 5代皇帝のネロなんて、独裁どころか、民衆に好かれたくてしょうがないわけですよ。だからいろんなパフォーマンスもするし、実際、民衆には好かれる。本人は「芸術家」を自称したといわれますが、原語(artifex)はむしろ「芸能人」と訳したほうがいいかもしれません。でも、史料の上では元老院貴族の書き残したものがたくさん残っているから、「暴君」ということになってしまう。 カエサルは、チンギス・カンやナポレオンにも並ぶ「世界史の英雄」とされますが、それはやはり、軍人として戦争に強かっただけでなく、『ガリア戦記』などで文筆家としても名を成したからでしょう。文武両道で、くどくどしゃべらない、短い表現ですごく的確なことを言うから多くの人が納得する。 しかし、もうひとつの理由は、56歳で暗殺されて、晩年に恥をかかなくて済んだというのもある。そしてなんといっても、オクタウィアヌスすなわちアウグストゥスを後継者として指名したのが大きい。 カエサル自身は戦争に明け暮れたけれども、これからは戦争のない時代を作るんだっていうので、オクタウィアヌスに後を託したわけです。カエサルの右腕だったアントニウスは戦争には強いのですが、平和な時は他の奴に任せて自分は遊びほうけてた。やっぱりそういうところをカエサルは見ていたんじゃないかな。 ――第7巻『平和と繁栄の宿命』では、いわゆる「五賢帝時代」から「軍人皇帝時代」の直前までが主題となりますね。 本村「五賢帝時代」とは、18世紀の歴史家・ギボンが「人類の最も幸福だった時代」と呼ぶネルウァ帝即位からの80年ほどの時代です。 この時代の文人政治家の小プリニウスが書いていますが、支配者っていうのは、誰を後継者にするかで評価される。ネルウァ帝自身は短い治世でしかなかったけれど、あとにトラヤヌスを立てたところが素晴らしい、というわけです。トラヤヌス時代にローマ帝国は最大の版図を誇ることになります。 しかし、次のハドリアヌス帝は、元老院議員を何人も処刑するなど、当時の人々にとっては非常に恐ろしい皇帝だったようです。彼が後世に五賢帝と讃えられるとは、同時代の人々には想像できなかったかもしれません。 ヤマザキマリさんの『テルマエ・ロマエ』でハドリアヌスは「旅する皇帝」として描かれますが、元老院と対立してローマにいられなかったということでしょう。ただ、皇帝自身が旅をして、属州の統治に努めたというのは、この時代のローマ帝国の非常に重要なテーマです。この巻ではそのあたりも描いていきます。