“釜石の奇跡”当事者の葛藤、教訓伝える26歳「命守るため」 東日本大震災からまもなく13年
大切な人とは、紺野さんの幼なじみです。自分たちは助かった一方で、釜石市で亡くなった人は912人(関連死含む)。152人の行方がわかっていません(2021年3月時点)。 そんな中で“釜石の奇跡”と美談にされることへの強い違和感―― 紺野堅太さん 「自分たちは常日頃からやっている避難訓練を、ただ実際にやっただけなので、当たり前のことなので」 「(大規模な)自然災害が起きたときに、亡くなる人が0人になることが、僕のなかでは奇跡だなと思う」
その思いを胸に紺野さんが行っているのが、当時の状況や教訓を伝える活動です。 紺野堅太さん(三重・鈴鹿市、今月2日) 「釜石東中学校の生徒が率先して避難して、自分の命を自分で守るという思いで高台に逃げて」 各地をまわり、今月は三重県で自身の経験を話していました。 紺野堅太さん 「僕が大切な人を亡くしてすごく悲しかったので、そういう思いをこれから生きていく人にしてほしくない。もっとこういう声がけをしたら助かったのではないか、というのは話すたびに常々、頭に浮かんでいますし、後悔の念も持ちつつ話していますね」
今年1月には能登半島地震が発生。“1人でも多くの命を救いたい”という気持ちをさらに強くしました。 紺野堅太さん 「建物の火災、津波の映像見て昔のこと思い出しちゃって(映像を)最後までは見られなかったですね」 「日本海側のほうにまだ講演にいったことがないので、自分が東日本大震災の経験を話していればもっと助かった人がいたんじゃないか」 ◇ 東日本大震災からまもなく13年。 紺野堅太さん 「当たり前の世界が続かないのは、13年前に実際に身にしみて体験しているので、自分の大切な人を守るためにも、まずは自分の命を守る。生きていれば会えるので、どうにかそのとき生きられる方法を備えてほしい」 (3月7日放送『news zero』より)