現役看護師の僧侶が語る「死にゆく人の身体と心に起こること」
以下、看護師/僧侶として終末期医療に携わってきた玉置妙憂氏の著書『死にゆく人の身体と心に起こること』 (宝島社新書) からの抜粋である。 誰しもが穏やかな死を迎えることができるハウツーはありません。人は自分の死に、あるいは自分の親しい人の死に、そのときそのときベストを尽くすほかないのだと思います。次に、私が本当に穏やかな死だったと思うケースをひとつ紹介しましょう。 ■本当に穏やかな死に方とは その方は、30代後半の女性で、卵巣がんを患っていました。闘病期間の初期には、手術をして卵巣をすべて摘出したのですが、再発し転移してしまい、緩和ケア病棟に入院していました。 卵巣がんの手術では、リンパ節も合わせて取らざるをえない場合もあります。 そうすると、どうしても下半身がむくみ、手術前のようには戻らなくなってしまいます。彼女はそんな自分の身体の状態をよくわかっていました。 というのも、彼女は私と同じ看護師だったのです。身体のことは非常によくわかっていた。それに対する軸はしっかりとしていました。 自分に残された時間があまりないことを理解していた彼女は、よく泣いていました。その理由を聞くと、ご両親のことを心配されていました。「子どもの私が先に亡くなってしまって申し訳ない」とか、「もっとやりたいことがあったなあ」ともおっしゃっていました。 彼女は最後の最後に、家に帰ることを希望しました。歩くことはもちろん、車椅子にも乗れない状態でしたが、それでも彼女は家に帰ることを望みました。 ご両親は娘を家に連れて帰ることに対して、不安を抱いていました。こんな状態になった娘を在宅で看護することが果たして自分たちにできるのか。かえって苦しい思いをさせてしまうのではないか。それなら、このまま緩和ケア病棟にいたほうが安心なのではないか。そんな思いがご両親のなかに渦巻いていました。 それでも本人の強い希望で、ご両親を説得して、家に帰りました。そして退院後2週間ほどして、彼女は亡くなりました。 後日、ご両親から、家に戻り親しんだ自分の家と部屋で両親と一緒に暮らす穏やかな時間を過ごした彼女の様子を聞きました。何よりも連れて帰ってよかったとおっしゃったのは、はじめは拒否していたご両親でした。一緒に寝起きをして、一緒の時間を過ごせたこと。それも病院ではなく、自分たち以外に誰も邪魔者がいない、自分たちの家で生活ができたこと。「最後の時間を家で一緒に過ごし看取ることができたのが、せめてものこと。本当に良かった」とご両親はおっしゃっていました。 本人が帰りたいと言うならば、無理だからと拒否するのではなく、なんとかして帰れる方法を考えてやってみる。それは本人のためになることはもちろん、ご家族にとっても本当にかけがえのない時間の過ごし方になるはずです。 ■ご自宅に戻ってから 2週間というのも、期間としてはちょうど良かったのかもしれません。戻ってから3日で亡くなられたら、無理に動かして自宅に帰したのがだめだったのか、と後悔につながります。逆に1カ月もたつと、ご家族はかえって疲れてしまうかもしれません。 さすがです。最後に立派な親孝行をしていきました。「それくらい考えてるよ」と言う彼女の得意げな笑顔が浮かぶようです。 『死にゆく人の体と心に起こること 大切な人を看取るためのヒント』(玉置妙憂著、2020年刊)※現在は購入が難しい商品です
Forbes JAPAN 編集部