京産大から初「国家一種合格」浪人重ねた彼の覚悟 母校初の快挙を成し遂げた彼の驚きの人生
現在、浪人という選択を取る人が20年前の半分になっている。「浪人してでもこういう大学に行きたい!」と いう人が激減している中で、浪人はどう人を変えるのか。また、浪人したことで何が起きるのか。 自身も9年間にわたる浪人生活を経て早稲田大学の合格を勝ち取った濱井正吾氏が、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張ることができた理由などを追求していきます。 今回は京都産業大学を卒業後、公務員試験で3浪を経て、京都産業大学出身者で史上初めて、国家一種試験(行政職)に合格して省庁に勤務。2浪で横浜国立大学の大学院に合格後、現在も公務員として勤務を続けているKenjiさんにお話を伺いました。 【写真】国家一種に合格したKenjiさんの合格通知書。行政職では、京産大初の快挙だった。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 ■一見浪人とは関係のない人生だが… 今回お話を伺ったKenjiさんは、現役で京都産業大学に入ってから大学を4年で卒業し、大手企業に勤務した経歴の持ち主です。一見、浪人とはまったく関係ない「ストレートの人生」のようにも思えます。 しかし、ご本人は「 私は5浪です」と言います。いったいどういうことなのでしょうか。 気になってお話を伺ってみると、大学を出てから国家一種試験に合格するまでに3浪し、その後働きながら大学院受験をして、合格を掴むまでに2浪したという経験の持ち主でした。さらに掘り下げてみると、どうやらKenjiさんは京都産業大学出身者で史上初めて、国家一種試験(行政職)の合格だったそうです。 (※行政職以外はいるそうです)
今回は、昔も今も東大出身者が大半を占める省庁に入るまでの、彼のすさまじい努力の日々について、伺いました。 Kenjiさんは、昭和40年代に兵庫県神戸市に生まれました。2歳くらいのときに、芦屋市に引っ越してからは、幼稚園から高校まで芦屋市で暮らしていました。 「父親は中卒で、大手製鉄会社の工場勤務。母親は旧制高等女学校の出身で、パートの主婦をしていました。子どもの多い時代にうちは一人っ子だったので、外に出て遊ぶといじめられました。だから、小さいころは家に引きこもって本を読んでいましたね。幸い、本はたくさん買ってもらえる家庭だったので、勉強は好きではないですが、読書は好きになりました」