京産大から初「国家一種合格」浪人重ねた彼の覚悟 母校初の快挙を成し遂げた彼の驚きの人生
■リストラの対象に怯え、公務員試験受験を決意 「私が入った会社は、運転免許が必須でした。そのため、会社がお金を出して、教習所に通わせてくれたのです。でも、私はどんくさい人間なのでぶつけたり、脱輪したり、のろのろ運転しかできなかったりして……。なんとか免許は取れたのですが、会社の中で『こいつに運転させたらダメだ』という空気になったのです。私の会社はコネで入ってる人がいっぱいいたので、コネもないし、運転もできない私は、リストラ候補になる可能性が高いと思い、危機感を抱きました」
そこで、目をつけたのが地方公務員試験でした。当時、Kenjiさんが受験しようと考えた「地方上級」の都道府県庁は26~27歳まで受験することができたので、働きながら受けようと決意しました。 「9時から17時で仕事をして、家に帰ってきてから、実務教育出版の通信教育を使って、勉強していました。父・母もいたので、掃除・洗濯をしてもらったり、ご飯を作ってくれたりした環境がありがたかったですね。残業した日は勉強できなかったですが、平日は多いときは5時間、休みの日は10時間くらいの勉強をしていました」
当時の地方上級の試験は、センター試験に近い知識分野・中学入試に近い知能試験からなる一般教養試験と、憲法・民法・行政法などが出される専門試験から構成されていました。 当時、「教養試験は4割の壁がある」と言われていたようですが、Kenjiさんからしたら、3割を確保することさえ、容易ではなかったそうです。 「教養試験は国公立の対策をしている人が有利になるように作られているので、1浪目では3割に到達するのがやっとでした。これを伸ばすのはなかなか難しいと思ったので、私はなんとしても、専門試験の出来でカバーしなければならないと感じましたね」
当時、Kenjiさんが受けた都道府県の「地方上級」の筆記試験のボーダーは6~7割だという噂があったそうです。 対策が間に合わなかったKenjiさんは、初年度の受験は回避し、2浪目の試験に向けて勉強を重ねます。 「実務教育出版の教材はやってしまったので、『憲法の頻出問題』『行政法の頻出問題』『民法判例百選I・II』などの参考書を使った勉強や、大学の経済学の基本書を復習しました。京産大の経済学部に通っていたときも、『貧しい家庭なのに、私学に行かせてもらっている』という負い目があったので、本を読み続けたのですが、そのおかげで基礎的な知識がついていてよかったですね。2年目には、産経公務員模擬テストの成績が、受験するたびによくなっていったので、合格できるかもしれないと手応えを感じました」