欧州挑戦10年目、南野拓実は“30歳の壁”にどう挑む? 森保ジャパンで再び存在感高まる節目の決意
ASモナコで「試合を決める選手」に。アジアカップ優勝の先に描く未来図とは?
そしていま、南野が「30歳の壁」に近づこうとしている。ただ、南野の場合はザルツブルク時代から何度も逆境に直面し、そのたびにもがき苦しみながら、必死に抗い続けてきた。 オーストリアで大きな爪痕を残し、できるだけ早くステップアップする青写真に反するように、ザルツブルクには最終的に5年間所属した。A代表にもなかなか定着できず、目標に掲げていた18年のワールドカップ・ロシア大会出場はまったくかなわなかった。当時の心境をこう語っている。 「ザルツブルクの練習を終えた後に、日本代表のメンバー発表をニュースか何かで見ていた感じでしたけど、普通に『選ばれへんやろうな』と思っていました」 UEFAチャンピオンズリーグの直接対決で決めたゴールが高く評価され、20年1月にはリバプールへの移籍を果たした。しかし、攻撃陣が築く厚い壁を乗り越えられず、なかなか先発を果たせない状況下で、21年2月には出場機会を求めてサウサンプトンへ期限付き移籍した。 22年夏に完全移籍で加入したモナコでも適応に苦しみ、最初のシーズンは出場18試合でわずか1ゴールに終わった。一部のフランスメディアからは「今シーズンでワーストの補強」と酷評された。 森保ジャパンでも鎌田大地の台頭とともに、主戦場がトップ下から不慣れな左ウイングに移る。カタール大会を前にして調子が上がらず、メンバー入りこそ果たしたものの先発からは外れ、クロアチア代表に敗れた決勝トーナメント1回戦ではPK戦の1番手を志願するも相手GKに防がれた。 第2次森保ジャパンでは、昨年3月、6月、9月と招集すらされなくなった。しかし、2シーズン目を迎えたモナコで、開幕直後の4試合で3ゴール3アシストをマーク。10月シリーズでの代表復帰を自力で手繰り寄せた。その後もモナコで2ゴール1アシストを積み重ねた要因をこう語る。 「常にチャレンジャーとして臨んでいるだけでなく、昨シーズンとは違って、試合を決める選手という自覚と責任感を持ってピッチに立っている。気持ちの部分でまったく違うものがあるし、それが自信になって結果にも表れていると思う。モナコも非常にいい調子で前半戦を終えることができたし、このままの勢いで後半戦にも臨んでいって、最終的には自分のキャリアのなかで最高のシーズンと言えるようにしたい。その意味でも、代表として臨むアジアカップでまずは優勝したい」 鎌田が選外となり、久保建英も負傷明けで迎える今大会。タイ戦に続いて、カタール入り後に非公開で行われたヨルダン代表との練習試合でもゴールを決めた南野が放つ存在感が大きくなってくる。 クラブと代表とでどん底まで墜ちた状況から、自力ではい上がってきた自負があるからだろう。来年に待つ「30歳の壁」を、南野は「まだまだこれからですね」とさらにキャリアを突き詰めていく上での通過点だと見すえている。その脳裏には北中米で共同開催される次回ワールドカップで大活躍を演じ、カタールの地で流した悔し涙を歓喜に変える、31歳になった自分自身の姿が描かれている。 <了>
文=藤江直人