多くの日本人が知らない「なぜ日本兵1万人がいまだ行方不明なのか」の実態
今なお1万人が見つからないミステリー
それから74年後の2019年9月25日。 戦後、日米の軍事拠点となり、民間人の上陸が原則禁じられた硫黄島に新聞記者が渡った。 それが僕だ。僕は、硫黄島発の電報を受けた側にいた父島の兵士の孫だった。 「祖父の戦友とも言える戦没者の遺骨を本土に帰したい」 13年前に一念発起し、政府派遣の遺骨収集団への参加を模索し続け、ようやく参加が認められたのだった。 僕の心には、あの電報があった。 「友軍ハ地下ニ在リ」 硫黄島の兵士たちは今も地下にいて、本土からの迎えを待っているのだ。 電報を信じ、地を這うように玉砕の島の土を掘りまくった。 結果、僕はこれまでにどの記者も挑まなかった謎の解明に、執念を燃やすことになった。 その謎とは──。 戦没者2万人のうち、今なお1万人が見つからないミステリーだ。 つづく「『壁面に骨片がびっしり刺さっていた…』日本兵2万2000人が死亡した「絶望の戦場」のその後」では、北海道にいた新聞記者が硫黄島を目指すことになった経緯を詳細に掘り下げている。
酒井 聡平(北海道新聞記者)