凱旋門賞で初の日本V馬誕生の可能性
なぜ、日本馬は凱旋門賞で勝てないのか?
とは言えども、これまでの歴史で日本馬が勝利できていないのも紛れもない事実。しかし、凱旋門賞への挑戦を始めた当初は遠征経験に乏しく、能力を出し切れないままレースを迎えたり、何より当時の日本競馬の血統レベルが、世界の血統レベルにまるで追いついてないことも大きかった。 しかも凱旋門賞の行われるロンシャン競馬場の芝コースは、日本の競馬場のように速い時計が出ない、非常にタフなコース。高低差で10メートルはあるという勾配差。その上、日本よりも重いと表現される芝は一度雨が降ると脚に絡みつき、年によっては優勝タイムが10秒以上も違うこともある。これまで経験した事の無いような馬場、競馬のペースに日本馬はリズムを狂わされ、そしてスタミナを奪われながら馬群へと沈んでいった。 また海外遠征のためには輸送をクリアしなければならず、そして現地での調整の難しさもある。2004年(第83回)の凱旋門賞に出走したタップダンスシチーは、本来はレース1週前の移動を予定していた。しかし飛行機のトラブルで出国が伸び、なんとレース前々日(1日)の遠征という強行スケジュールを余儀なくされ、本来の力を出しきれず17着に敗れている。
挑戦を通して培ったノウハウと、日本生産馬の血統レベルの向上
今回、日本から凱旋門賞へと挑戦する3頭は、レースの2週間前にフランスへの移動となったが、過去にはまだ早く入国して環境の変化に慣れさせたり、ロンシャン競馬場の馬場を経験させるために、前哨戦を使うといった調整も行われている。日本馬では初めて凱旋門賞での連対(2着)を果たしたエルコンドルパサーは、その年の4月にフランスへと移動。現地では凱旋門賞を含め4度のレースに出走し、G勝ちを含む2勝、2着2回という優秀な成績を残している。 エルコンドルパサーが日本のホースマンの努力で世界の一流馬たちと遜色無いレースを見せていた頃、日本ではディープインパクトやステイゴールドの父でもある名種牡馬サンデーサイレンスが、日本生産界のレベルを一気に世界基準へと押し上げる。それに伴うかのように、世界各国から名牝と呼ばれる繁殖牝馬も導入されてくるようになった今、日本の血統レベルは世界のトップクラスになったとの評価もある。 ちなみにハープスターの父ディープインパクト、ゴールドシップの父ステイゴールドだけでなく、ジャスタウェイの父ハーツクライもサンデーサイレンスの産駒。つまり今年の凱旋門賞は、日本で驚異的な成功を収めたサンデーサイレンスの孫たちが、揃って世界一を目指すという構図も出来上がっている。