「日本の球団はドラフト1位でも行きませんと」偏差値71の名門高の153km・45発“化け物”二刀流・森井翔太郎はなぜ直接アメリカを目指すのか
低反発バットも関係なかった
高校野球では今春から低反発バットが導入され、対応に苦慮する選手が多く見られたが、森井にとっては「(それまで使用していたバットと)全然変わらなかったです」と、どこ吹く風だ。 今春の広島遠征、広島商との練習試合では、同校グラウンドの右翼後方にある4階建て校舎を越える特大本塁打を放った。柳田悠岐(ソフトバンク)ら、数々の名選手を輩出している伝統校でも、そこまで飛ばすことは稀有で、視察したプロスカウトや関係者がざわついたという。 練習参加した青学大でも、本塁から95メートルある右翼後方にある防球ネットを越してみせた。今季、西川史礁外野手(ロッテドラフト1位)や佐々木泰内野手(広島ドラフト1位)らを擁し、大学4冠を達成した東都の雄に、強烈なインパクトを残した。
「森井先輩は化け物です」
新チームから主将を務める八嶋道人(るうと)内野手(2年)は、1学年上の先輩を「化け物です」と評する。 「あの広島商の本塁打が、森井先輩がこれまで打った中で一番飛んだのではないでしょうか。帰りにバスに乗ろうと思ったら、校舎の後ろの駐車場にボールが落ちていたので、『えっ? 』という感じで、本当にビックリしました。学校でも、文系で私立大や芸術の方に行く人は数学をあまり選択しないのですが、先輩はプロ志望で大学に行かないにもかかわらず、数学をきっちりと選択して勉強しており、凄く尊敬しています」 高校入学時の178センチ、76キロから、3年時は183センチ、86キロまで成長。ウエイトトレーニングを一切行わず、自重のみで鍛え上げたしなやかな肉体から、投げては最速153キロまで到達し、強肩と華麗なグラブさばきを生かした遊撃守備の評価も高い。自分で課題を見つけて取り組むチームカラーがマッチし、プロやメジャーが注目する選手となった。
最後の大会は初戦敗退
ただ、一人で勝てるほど野球は甘くない。3年夏、都富士森との西東京大会初戦、日米14球団42人のスカウト・編成関係者が詰めかける中、「3番遊撃」で出場も、初回から先発投手が5点を奪われ、急遽リリーフ登板。最速147キロをマークするなど、4回2/3を1失点と粘りの投球を見せるが、打席では3打数無安打と結果を残せなかった。結局2対9で7回コールド負け。甲子園はほど遠く、短い高校野球生活は幕を閉じた。 「中学から6年間やってきた仲間たちと長く野球をやりたいと思っていましたけど、球場に入った時の観客の多さであったり、ちょっと異様な雰囲気を感じて、出だしがよくなくて……。最後の大会は悔しさしかないです」 注目の進路は、この時点で「日本のプロ野球」「米国の大学進学」の2択だったという。 「メジャーのことは自分もよく分かっていませんでした。まずはマイナー契約からで、最下位に位置づけられるルーキーリーグから始まるのですが、正直言って情報不足でした。その時点では、メジャーのことはちょっと考えられないかなと思っていました」
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