地図しかなかった時代のドライブ。その楽しさと苦労とは?
自動車ジャーナリストのレジェンド岡崎宏司氏が綴る、人気エッセイ。日本のモータリゼーションの黎明期から、現在まで縦横無尽に語り尽くします。 岡崎宏司の「クルマ備忘録」 今ではナビのおかげで誰もが初めての場所でも不安なくドライブできます。しかし地図に頼るしかない時代には色んなトラブルが起こった。ましてや海外となると……。67年の運転歴中、6割ほどを地図で過ごしてきた筆者が語る地図ドライブの思い出あれこれ。
地図時代の海外ドライブを振り返る
今は初めての場所でも簡単に行ける。目的地さえハッキリしていれば、なんの不安もない。ナビを設定すればいいだけのこと。 僕が初めて海外でクルマを走らせたのは1964年。場所はLA。 空港で友人にピックアップされ、初めてフリーウェイ101(世界一交通量の多い道路かもしれない)に入った時は驚いた。片側4~6車線をビッシリ埋める大河の如きクルマの流れには圧倒された。 LAのフリーウェイは、映画やTVドラマ、あるいは雑誌などでいろいろ見ていた。「すごいなぁ!!」とは思っていた。でも、現実は想像の何倍もすごかった。
そんな中を淡々と走り、ときにスイっと追い越しをかける友人の走りに、「こいつ、こんなに運転ウマかったっけ!?」といった思いが頭を掠めたりもした。 友人が予約したモーテルで降ろしてもらい、そこからは独りに。場末の安いモーテルだが、予想通りのイメージだった。 「アメリカに来たんだ!」といううれしさがさらに強くなった。安っぽいシャワールームでシャワーを浴びるのさえワクワクした。 ショートパンツとTシャツでベッドに。そしてLAの地図を広げ、まずはモーテルの位置にマークを入れた。次いで、友人から手渡されたレンタカーショップをチェック。 その場所はモーテルの直近で歩いてもすぐ。友人の気配りがうれしかった。 レンタカーを借りての最初の目的地はサンタモニカだが、そこに至る道順もチェック。フリーウェイも一般道も道順は簡単。すぐ頭に入れられた。でも、念の為にメモも作った。 LAの道路はシンプルでわかりやすい。下手に近道などしようとせず、大きな通りを単純に組み合わせれば、労せず目的地に着ける。