<私の恩人>高田純次、ウケなくても使い続けてくれた…だから今の自分がある!
“Mr.テキトー”の名をほしいままにしている高田純次さん(67)。初の自叙伝「高田純次のチンケな自伝」(3月4日発売)の出版記念イベントでも「いいデキなので、自己評価は300点。ま、500点満点なんですけどね」「読まなくてもいいので、皆さん、とにかく買ってください」とテキトー発言を連発しましたが、実は、その原点はガムシャラな過去にありました。 僕がテレビに出る原点となったのが、「笑ってる場合ですよ!」(1980~82年、フジテレビ系)でした。この番組は、「笑っていいとも!」がスタートする前に、同じ枠でやっていた生番組です。 それまで、ほとんどテレビに出ることはなかったんですけど、ある時、「オレたちひょうきん族」(81~89年、フジテレビ系)をやるディレクターさんらが、僕が所属している「劇団東京乾電池」の舞台を見に来てくれていたんです。それで「笑ってる場合ですよ!」のプロデューサーだった横澤彪さんに話をしてくれて、番組スタートから出演することになりました。 ただ、テレビにもほとんど出たことがないうえに、時事ネタを盛り込んだコントを披露するコーナー「日刊乾電池ニュース」を月曜から金曜まで担当させてもらっていたので、毎日毎日新ネタを作るようなもの。これは、正直、大変でした。毎朝、放送作家さんが選んでくれたニュースをもとに、本番までの何時間かでコントを作る。しかも、スタジオの設営があるので、スタジオ内でのリハーサルはできない。放送していたスタジオアルタの狭い会議室みたいな所で稽古をして、本番に臨むという日々でした。 今でも鮮烈に覚えているのは、第1回目の放送です。ま、ネタの内容は覚えてないんですけど(笑)、僕がメンバーへのツッコミとして、首を絞めるというような場面があったんですよね。本当だったら「バカヤロー」と首を絞めて笑いが起こるはずの場面で、緊張しすぎて、首じゃなくて顔を握っちゃった。