“広島一筋21年”青山敏弘が14分間の引退挨拶、背番号「6」を川辺駿に継承へ!! 指揮官からコーチとして入閣のサプライズ発表も
[12.1 J1第37節 広島 5-1 札幌 Eピース] サンフレッチェ広島は1日に2024シーズンのホーム最終戦で北海道コンサドーレ札幌に5-1で勝利した。試合後にはMF青山敏弘の引退セレモニーが行われ、07年から背負ってきた背番号「6」をMF川辺駿に継承することを発表した。また、ミヒャエル・スキッベ監督は青山が来季からコーチとして入閣することを明かし、「ここまで20年やってきた経験を、今度はコーチとしてサンフレッチェに貢献してくれることを確信しています」と期待を込めた。 【写真】ミスマガジン16歳グラドルの鹿島ユニ姿や水着ショット 青山は作陽高を卒業した04年に広島に加入。広島一筋を貫いて21年の現役生活に幕を閉じる。バンディエラはキャプテンマークを左腕に巻き、およそ14分間のスピーチで以下のように伝えた。 「わたくし青山敏弘は、この尊敬するサンフレッチェ広島で現役を引退させていただくことになりました。サンフレッチェ広島の関係者の皆様、プロ入りして21年、支えてくださったことに感謝を申し上げます。そして今日もこの素晴らしいスタジアムと素晴らしいゲームの後、最後までこのセレモニーの場を用意していただき、ありがとうございます。僕はこれまで多くの方に支えていただきました。その感謝を伝えさせてください」 「まず久保会長。長きにわたってクラブと私を支えていただいただけでなく、この新たな広島の希望となる新スタジアムを先頭に立ち作っていただきました。今日この場に立たせていただけたのも、会長の深い愛情があったからです。改めて感謝申し上げます」 「過去を振り返ると、岡山の川鉄サッカースクール、HAJAXS FC、作陽高校とこれまでご指導いただいた岡山の関係者の皆様にも感謝申し上げます。岡山で頑張っていたあの頃が今の自分を作っています。特に作陽高校時代に経験した幻のゴール(選手権予選決勝でゴールネットを揺らすもノーゴールの判定)。当時は辛く苦しい思いもしましたが、あの出来事があったからプロに入って何度も立ち上がれる強い気持ちを培うことができました。岡山の皆様、ありがとうございました」 「そして、プロになってご指導いただいた監督の皆様にもごれお礼を申し上げます。1年目の小野剛監督にはプロフェッショナルの精神を叩き込んでいただきました。ペトロヴィッチ監督には、試合に出る楽しさとプロで輝くための武器を作っていただきました。森保さんからは勝負へのこだわりを教わり、優勝の喜びとその価値を何度も味わわさせていただきました。ヤン・ヨンソンさん、苦しい時を救ってくれました。城福さんにはもう一度選手として勝負する情熱をいただきました。皆様、本当にありがとうございました」 「そして、ここにいるスキッベ監督。まさに家族のような雰囲気を作り、2022年ルヴァンカップを獲得しました。この素晴らしいサッカーと人間性を見せてくれる、この新スタジアムにふさわしい監督だと思います。スキッペさんが僕の最後の監督だということが何よりの喜びです。ありがとうございました」 「ここで、プロの世界で切磋琢磨し、成長させていただいた仲間たちにもお礼を申し上げます。 いつも僕の見本となっていた先輩たち。下田崇さん、服部公太さん、 森崎カズさん、浩司さん、駒野さん、寿人さん、卓人さん。いつまでも皆さんは僕の目標であり、その姿勢や背中で正しい道を示し続けていただいた偉大な先輩です。ありがとうございました」 「また、同級生の千葉ちゃん、水本。刺激し合うライバルであり、親友であり、苦楽を乗り越えたかけがえののない存在でした。ありがとうございます。そして、ここにいる頼もしい後輩たち、特に長く一緒にプレーしたカシ(柏好文)、ショー(佐々木翔)、チャジ(茶島雄介)。最後まで尊敬できる君たちとプレーできて幸せでした。ありがとうございます。皆さんと一緒に成し遂げたものは一生の宝物です。一緒に戦ってくださりありがとうございました」 「この場で歴史を継ぎたいと思います。クラブと守ってきたこの6番のユニフォームを引き継いでもらいます。駿。頑張って。後をお願いします。頑張ってな」 「ここで家族にお礼を伝えたいと思います。忙しく働きながら、家族と僕の成長を見守ってくれた父。大切なものを守る責任の大きさを教えていただきました。そして僕が試合に出ていなくても必ず毎試合スタジアムに駆けつけてくれる母。信じてやり続ける力の大きさを教わりました。 憧れ続けた兄には、サッカーの楽しさと絆の大切さを教えていただきました。 いつも一緒に遊んでくれた姉には、真面目さと負けず嫌いを。みんなからもらったもので、今僕はここまで頑張らせていただきました。ありがとうございます。そして、ずっと一緒に歩み続けてくれた妻、一番の応援団だった子供たち、今まで本当にありがとう」 「最後に僕が愛し続けたサポーターの皆さん。プロに入って怪我ばかりして、思うようにチームの力になれずにいました。2007年にはJ2降格。もどかしい、悔しい思いでいっぱいでした。しかし、そこから自分もクラブも成長し、そのとき味わった挫折と皆さんからいただいたたくさんの応援。これをチームとして3度のJ1優勝、個人としても日本代表とワールドカップへ繋がる僕の大きな力になりました。ありがとうございます」 「あのJ1優勝の景色はきっと忘れることのない素晴らしい光景でした。 僕たちの宝物です。ありがとうございます。2017年、J2降格の危機に陥りましたが、なんとか踏ん張って翌年のリーグ2位、そして日本代表の復帰。大怪我との戦いを経て、2022年ルヴァンカップ優勝。昨年のエディオンスタジアムラストマッチ、そして今年ずっと夢を見た新スタジアムへ続きました。全てが皆さんと歩んできたものです。皆さんの支えに何度も助けられました。吉田の練習場で僕に会いに来てくださった皆さんとのファンサービス、本当に楽しかった。僕の宝物です。スタジアムでの声援、僕へのチャント、皆さんと共有したものは全て特別なものになりました。ありがとうございました」 「大怪我も何度もしました。苦しいことも何度も味わいました。 でも、何度でも立ち上がることができたのは皆さんがいたからです。皆さんが僕を成長させ、成功へ導いてくれました。ずっと皆さんに認めてもらえるようにプレーしてきました。皆さんの笑顔のためにプレーできることが幸せでした。どんな成績より、 皆さんと築き上げた絆や信頼は僕にとっての1番の誇りです。 みんな大好きだよ。伝わってますか(笑)」 「最後となりますが、これまで本当にありがとうございました。皆さんと 歩み続けた21年間の大きな夢と素晴らしい思い出は、この胸に輝く4つの星とともに、僕たちの心の中に永遠に色褪せることなく輝き続けていくでしょう。21年間、 最高のサッカー人生をありがとうございました」