パリ五輪でも難しい判定が話題に。審判という仕事を考える【山本萩子の6-4-3を待ちわびて】第126回
人間に話を戻すと、オリンピックを見ていて思ったのは、「審判のレベルにも差があるのかもしれない」ということでした。たとえば、"柔道大国"フランスと"柔道祖国"日本が対戦するときは、それ以外の国から審判を出す必要がありますが、裾野の広さが審判のレベルに直結するような気がしたんです。 野球でいうと、日本の国民的スポーツのひとつですから、プロを経て審判になる方もいます。また、プロ経験がなくても審判を目指そうとする方もいらっしゃいます。 審判とはプレーヤーのセカンドキャリアだけではなく、夢を持てる職業として成り立っています。実際、私の幼なじみもプロ野球の審判を夢見て、養成学校に通っているそう。この事実は審判のレベルを底上げする大きな力になっているのだと思いました。 メジャーでも、野球経験のない人がコーチになることもありますし、必ずしも「いい審判」は「いい選手」である必要はないわけですよね。スタジアムに行くと、選手の試合出場数などの記録表彰に立ち会うことがありますが、審判も表彰されることがあります。多くの試合をさばいてきた記録は、選手と比べても遜色ないからです。 かつて番組をご一緒していた黒木知宏さん(ロッテ一軍投手コーチ)は、ある審判の方を「その人が球審の日はいい結果が出ていた」とおっしゃっていました。それはストライクゾーンの判定だけでなく、「ナイスボール!」の掛け声や仕草、マウンドへの返球の仕方ひとつとっても、なんだか心地がよかったんだとか。 こういう話はあまり表に出ないですよね。失敗ばかりがやり玉にあげられ、常に正しくて当たり前。審判というのは多くの人から文句を言われる大変なお仕事なのでしょう。 審判という仕事のつらさや、人間の審判だからこそ生まれた名シーンの数々もあるかもしれないことを心にとめて、普段からリスペクトをもって試合を見たいと思います。それでは。 構成/キンマサタカ 撮影/栗山秀作