アレッサンドロ・ミケーレ、ヴァレンティノのデビューショーで魅せたのは“風変わりなシックさ”
ヴァレンティノで初となるアレッサンドロ・ミケーレ2年ぶりのランウェイは、今シーズン最も待ち望まれたショーだった。 【写真23枚】アレッサンドロ・ミケーレのヴァレンティノによる初のショーからのメンズルックをすべてチェック! 日曜の午後、パリの会場でアレッサンドロ・ミケーレは「久しぶりですね!」と声を弾ませた。ヴァレンティノでの初めてのショーを終え、記者会見に臨んだ元グッチのデザイナーは、ファッション界への待望の復帰と2年ぶりのランウェイを飾った。 ダストカバーがかけられたアンティークのアームチェアに足を組んで座る彼の姿は、その象徴的な存在感を隠しきれない。王座に返り咲いた王のようであったが、長い栗色の髪に「Techno Is My Boyfriend(テクノは私のボーイフレンド)」と刺繍が施されたグレーのキャップを被るミケーレは、あくまでもモダンな価値観を貫いていた。 ショーが開催されたパリの郊外にある地下劇場に入ったのは約1時間前。そこでは、木製の椅子や真鍮製のランプ、そしてグランドピアノに同じダストカバーがかけられ、不気味な雰囲気を漂わせていた(私の席は、シーツをめくると年代物の豪華なベルベットのラブシートなのがわかった)。 その光景は、ミケーレが今年4月にヴァレンティノに足を踏み入れたときに見た、休眠中の宮殿を体現しているかのようだった。「本当に美しかった」と、彼は言う。「そこは“家”でした。貴重なものや繊細なオブジェがあって、近寄りがたいと同時に生命感に満ちた家だったのです」 ■帰ってきたミケーレの華麗な世界 イタリアの現代芸術家アルフレード・ピッリによる一面に敷き詰められたひび割れた鏡の床は、「私たちは戻ってきました」と言う俳優ハリ・ネフが履くハイヒールの下でミシミシと静かに音を立てた。世界中のスタジアムやレッドカーペットで、ミケーレのバロックパンクなスタイルを発信してきた雅やかな“グッチ集団”の一員だったのがネフだ。 彼女のほか、ハリー・スタイルズ、エルトン・ジョン、フローレンス・ウェルチ、アンドリュー・ガーフィールド、そしてジャレッド・レトがフロントロウに復帰した。今では彼らを総称して「チーム・ヴァレンティノ」と呼ぶことさえできるだろう。「最後にアレッサンドロと仕事をして以来、ファッションに対してこれほど興奮し、目を輝かせることはありませんでした」と、ネフは語った。 少なくともプレス側の私としても、その気持ちは同じだった。ローマを拠点に活動し、ポップカルチャーをラグジュアリーファッションへ巧みに取り入れ、グッチで8年近くも成功を収めたミケーレ。彼のメンズウェアへの影響は絶大だ。 ミケーレの功績は、ハリー・スタイルズが『VOGUE』の表紙で着用したドレスなど一部の話題だけに集約されがちだが、彼は男性たちに、スネークの刺繍や内側にファーがあしらわれたホースビットサンダルを履くことよりもずっと繊細な教えを説いていた。 ミケーレならではの華麗な世界では、常に少しハズした着こなしを追求している。自分の生首を持ち歩くルックがある一方で、チェック柄コートの下にロココ調の豪華なネックレスを合わせたり、完璧なスラックスの下からロサンゼルス・ドジャースのロゴ入りスリッパをのぞかせていたグッチでのスタイリングを憶えているだろうか。 自身の作為的なマッシュアップ手法により、スタイルとは完璧さのなかにあるのではなく、自分らしくなるために行う意外な選択のなかにあるのだとミケーレは主張する。その好例として、バーントオレンジのセーターからフリルの付いたシャツの襟を覗かせたスタイルズが会場に姿を見せたとき、すべてがうまくいっているように感じられた。 ミケーレは日曜日に、これまでに制作した中で最も美しく、そして正しく「ハズした」85のルックでそのメッセージを具体化した。 プレス向けの会見で彼は、「若い世代に、型破りな方法で風変わりなシックさを表現することは可能なんだということを伝えたかった」と、通訳を介して語った。 「風変わりなシックさ」を定義するのであれば、白い小さなポルカドットがちりばめられたシルキーな黒のタキシードジャケットを、同色のゆったりとしたパンツとフラットシューズに合わせた最初のメンズルックは、風変わりというよりもシックであろう。私が今シーズン目にしたなかで最高のテーラリングであり、ミケーレがヴァレンティノのアトリエを最大限活用していることは明らかだった。 「縫製職人たちはヒョウのように保護されるべきです。彼らは素晴らしい仕事を驚くほど簡単にやってのけますからね」。自身が仕事をともにする熟練のクラフツマンシップについて、ミケーレはそう語った。それは、花柄が入った端正なスタンドカラーのテーラードジャケットや、シルバートーンのブロケード織で覆われたテール付きベスト、そしていくつかのルックで見られた透け感のあるフリル付きビブを見ても明らかだった。 多くのモデルがレースのグローブを着用し、なかにはフリンジ付きのスエードバッグと光沢のあるイブニングバッグの両方を同じ手で持ったルックも登場した。これはランウェイでより多くのアイテムを披露する効果的な方法であるが、私には単にエキセントリックでクールに見えた。 ヴァレンティノでの初日は、アーカイブにくまなく目を通したというミケーレ。そこには、イタリアンスタイルの黄金時代を築いた創設者ヴァレンティノ・ガラヴァーニのドレスが所狭しと並んでいるという。「彼の作品に触れると、彼が人生の尊さをよく理解していたことがわかります」と、ミケーレは語った。 現在92歳となるヴァレンティノは、ジャクリーン・オナシスやグウィネス・パルトロウなど、エレガントで裕福かつ著名な女性たちを次々と着飾ったことで知られるファッション界のアイコンである。「彼は友人や知人、そして自身が思い入れのある人たちのために服を仕立てていました。彼は労働をしていたのではなく、ただ人生を生きていたのだと思います」 ■ヴァレンティノ・ガラヴァーニ本人に着想を得たメンズウェア どうやらアーカイブにはあまりメンズウェアは含まれていないようだ。その点について、ミケーレはヴァレンティノ自身に目を向けなければならなかった。彼は、裕福な顧客たちに豪華なジェットセット的なラグジュアリーを体現した、元祖セレブ・プレイボーイ・デザイナーのひとりである。 ヴァレンティノとパートナーのジャンカルロ・ジャンメッティに関する興味深い記事が、2004年の『VANITY FAIR』に掲載されている。その記事によると、マルクス主義者のゲリラがローマの著名人を誘拐や暗殺をしていた1970年代、ヴァレンティノは防弾仕様のベンツを乗り回していたという。マット・ターナウアーによるこの驚くべき記事のなかで、当時の『WWD』編集者ジョン・フェアチャイルドは、「そのベンツが何色だったか知っていますか? 真っ赤だったんですよ。爆破されたいのか、と思いましたね」と語っている。 ヴァレンティノの恐れ知らずなその性格は彼のスタイリングにも表れてもいた。 こんがり日焼けした肌と見事なヘアスタイルで世界中に知られていた彼は、ペイズリーやポルカドットのネクタイに、夏は真っ白なパンツ、冬はキャメルカラーのスーツを好んで身に着け、いつもピカピカに磨き上げられたレザーシューズを履いていた。 彼はオートクチュール界の巨匠として知られているが、ミケーレはヴァレンティノを先駆者であるとも考えている。「私たちは彼をどちらかというと古典的な存在だとみなしがちですが、彼は革命家であり、ファッション界に身を置くゲイ男性であり、自身の人生をエレガントかつ卓越した手腕で表現した最初の人物のひとりでした」 ヴァレンティノでのデビューコレクションで、ミケーレは意外にも、しかし新鮮なことに、控えめなエレガンスを見出したようだ。彼のグッチでのメンズウェアは装飾的なスタイリングによってやや重苦しく感じられたが、今回のヴァレンティノでは重ね着や装飾品はほとんど省かれていた。 ミケーレのヒップスター的な一面は、カジュアルなセーターにジーンズと小ぶりなロールビーニーの組み合わせで垣間見られたが、それ以外のメンズスタイルはかなり絞り込まれ、テーラードジャケットとトラウザーのルックが続く展開に。しかし、それはミケーレのヴァレンティノでのビジョンの幅を明確にするのにむしろ役立った。 金ボタンがあしらわれたミリタリースタイルのテーラードジャケット、プチポワンのような素材で仕立てられたショールカラーのスモーキングジャケット、ジャレッド・レトのクローゼット行きとなるであろうヴァレンティノレッドのディナージャケットが数着、タッセルで装飾されたダークスーツ、そしてガラヴァーニを思わせる孔雀の羽がプリントされたドレッシングガウンなどが次々と披露された。 ネイビーのテーラードジャケットとベージュのパンツに、ボタンダウンの青いオックスフォードシャツと赤いネクタイを組み合わせたモデルもいたが、そのネクタイはシルクスカーフで、ブラウンのドレスシューズは可愛らしいバレエシューズだった。ごく普通のスタイリングが「風変わりなシック」に変身したわかりやすい例と言える。 ■「無駄なものは必要である」 ヴァレンティノ・ガラヴァーニ自身がミケーレによる彼のパーソナルスタイルへのオマージュをどう思ったのかは知る由も無いが、『VOGUE』によると、フィナーレのさなかにジャンメッティが本人とビデオ通話していたというから、良い兆候であることは間違いないであろう。 ランウェイでの挨拶を終えた後の会見で、ミケーレは若い世代に目を向けた。「今は奇妙な時代だ」と言う彼は、「私たちは困難な時期にいます。多くの人々が人生や生活に不安を感じています」と語った。 グッチ時代のミケーレがファッション界にあれほど大きな影響を与えたのは、服を着るという日常的な苦行に比類なき軽快さと魅力を吹き込んだからだ。ショーの後で彼は、私たちは衣服とより退廃的な関係を持つことによってこの恐怖を克服できるかもしれないと主張した。 彼は「私なら、若者たちに無駄なものは必要であると伝えるでしょう」と話し、地下鉄で美しいスカートを履くことを、詩を読むことになぞらえて語った。「今の若者は家にこもりがちで、私たちが若かった頃ほど外出しません。私は彼らが人生と服を祝福するために戻って来るべきだと感じます」 ミケーレがニューヨークでもっと多くの時間を過ごせば、彼の若者への印象も変わるかもしれない。毎晩おしゃれをして夜の街に繰り出すことが、少なくとも現代の不安を緩和する解決策のひとつだと考える若者たちが集まるのがニューヨークなのだ。 だが、ミケーレが次に語った言葉には、彼らもきっと同意するだろう。「服と良い関係を築くことができれば、人生を大いに輝かせることができるでしょう」 From GQ.COM By Samuel Hine Translated by Masashi Nozaki