中国政府に逆らうと「無理やり注射され、ゾンビのようにされた」 仕事奪われ強制入院、命からがら「自由の国」日本へ…でも待っていたのは「入管の壁」
対面したシナピスの松浦・デ・ビスカルド篤子さんはその時のことをこう振り返る。 「周さんは何も口にしていなかったようで、ひどい空腹状態でした。それに精神的にも不安定な様子でした」 松浦さんは、周さんから来日に至る経緯を聞き取り、強制入院や家宅捜索に関する書類を確認した上で、難民認定されうる事案と判断した。弁護士や通訳者らと数人で専属チームを組み、急ピッチで申請書類を作って2019年4月、大阪出入国在留管理センター(大阪市住之江区)に難民申請した。 ▽開かれなかった「審尋」 しかし、申請は2020年12月に退けられた。松浦さんは「想定していた」と語る。 「むしろ不認定後、こちらの異議申し立てによって開かれる手続きである『審尋』で、詳しい審理をしてもらうことを期待していました」 審尋には外部有識者である難民審査参与員が対面で参加する。入管側の職員だけで構成する最初の難民審査より、公平で中立な手続きになることが期待できるという。しかし、その期待はもろくも崩れ去った。
約2年後の2023年1月、大阪入管からの報告は「法務大臣が異議申し立てを棄却した」。提出した親戚の聴取記録と周さんの証言に矛盾があり「信ぴょう性を認めることができない」などというのが理由だった。 この間、難民審査参与員らが調べたのは提出書類だけだった。松浦さんたちが期待していた対面での審尋は一度も開かれなかった。 ▽「ゲームオーバー」 ここからの入管の行動は早い。周さんに対し、ビザ期限である1カ月後の2月までの出国を求めてきた。周さんは思わずつぶやいた。「ゲームオーバー」 まずは強制送還を避けなければならない。松浦さんはすぐにビザの変更手続きに取りかかった。 周さんにはパソコンに関する技術がある。専門知識だ。2023年3月、シナピスが技術職員として雇用することを前提に「技術・人文知識・国際業務(技人国)ビザ」を申請。無事に取得でき、滞在期間を延長できた。 周さんはシナピスの支援で大阪市内にアパートの部屋を借り、日本で一人暮らしを始めた。「技人国ビザ」取得後はシナピスに通い、定期的にパソコン修理の仕事を請け負うことで糊口をしのいだ。「周さんの仕事は早い」とシナピス職員からも好評だ。10月末に退職し、現在は留学生らを受け入れている派遣会社に就職。日本語も学んでいる。
だが、心配は尽きない。ビザの期限は1年で、2024年3月の期限切れが迫っている。どうするべきか、方針は定まらないままだ。 周さんは当初から日本の難民認定の厳しさを知っていたという。諦めたくない気持ちも強い。「自由と民主の国に暮らしたい」と何度も口にした。 「もし難民になれたら?」。記者が問うと、周さんはゆっくりと日本語で答えた。「日本の料理が好きです。勉強して、レストランを経営したいです」