ホームレスは助け合うのか、それとも冷淡で孤独なのか...不思議な「兄弟分」の物語
荒川河川敷に住むホームレスを取材し始め、ホームレス同士の付き合いは淡白で浅いものが大半だと知った在日中国人ジャーナリストの趙海成氏。しかし、中には、深い絆で結ばれた「パートナー」たちもいる
ホームレスの人たちに注目し、交流し始めてから、私は彼らが基本的に「天馬行空 独往独来」(中国の言葉で、「天馬が空を走るように、想像力が豊かで制約に縛られず、他人に依存せずに自立して行動する」という意味)なのだと知った。 日本でのホームレス生活に必要なすべてのものが写っている写真 同じ小さな「森」に住んでいても、お互いに接触するのは日常の挨拶程度にとどまっている。 少し親しくなると、挨拶に加えて生活や仕事の情報をやりとりしたり、生活に必要な道具を貸し借りしたりすることもあるが、ホームレス同士の付き合いはこのようにあっさりしたものが大半だ。 しかし、すべてのホームレスが淡白で「君子之交淡如水」というわけではない。これは中国の言葉で、立派な人同士の交友関係は、表面上は淡白で素っ気ないように見えるが、実際には誠実で深いものであることを意味する。 彼らの中には「手足情深甜蜜蜜」という人たちもいるのだ。「手足」は兄弟姉妹や親しい仲を指し、「情深」は絆の深さ、「甜蜜蜜」は甘く心地よい関係を表す。家族、特に兄弟姉妹の深い愛情と親密さを表す中国の言葉だ。 桂さんと斉藤さん(共に仮名)はまさにそのような関係だった。私は初めて彼らに会ったときに、そのことに気づいた。 夏のある日、私は河川敷のサッカー場で日に焼けて死にそうになっているカメを見つけた。急いでカメを助けようと、手で持ち上げて小走りで川辺に向かった。 その途中、小さな森を通るが、森の中には青いテントハウスがいくつかある。そこで桂さんに初めて会った。 彼はその時、私に向かって微笑みかけた。それが何を意味するか私は心得た。そして私はカメを助けた後、元の道に戻って彼に話しかけたのだった。
ただの隣人ではなく、兄弟のように仲がいい
私が再び現れたことで、桂さんの顔には驚きと喜びの表情が浮かんだように見えた。私たちはしばらく話しただけで、まるで昔から知っている友達のようになった。もしかしたら前世からの因縁だったのかもしれない。 「いつか食事と飲みに誘わせていただけますか」と尋ねると、桂さんは言った。 「お酒はとっくの昔にやめているが、隣の友人がお酒が好きなので、彼を呼んでもいいですか」 「もちろん」と私は答えた。その友人が斉藤さんだった。 彼ら2人はただの隣人ではなく、兄弟のように仲がいいのだとすぐに分かった。さもなければ、桂さんはこのような提案をしなかっただろう。 また、その年の冬が始まる前のある日、買っておいた冬用の肌着を2着持って荒川の河川敷を訪ねたときには、こんなこともあった。 最初に桂さんに会い、その肌着を手渡す。すると、すぐには受け取ってもらえず、「斉藤さんの分はありますか」と聞かれた。 「はい、1人1個ずつ」と答えると、桂さんは言った。 「それはよかった。彼もきっと喜ぶでしょう」 その時、斉藤さんは家にいなかったので、肌着は桂さんに託し、後で渡してもらうことにした。 喜びを共有するほか、彼らは風雨を、そして危険を共にする。 8月のある日、私が息子を連れて荒川へ景色を撮りに行ったときのことだ。桂さんと斉藤さんの家の近くに行き、何をしているのか覗いてみたいと思った。 斉藤さんのテントハウスの前に行くと、桂さんが眉をひそめて斉藤さんのテントのそばにしゃがんで石を縛っていた。 翌日に台風8号の接近が予想されていた。テントハウスが吹き飛ばされるのを防ぐためには、重い石でテントを安定させる必要があった。 桂さんの友人に対するこのような心配りを見て、私は粛然としたのである。台風が来て斉藤さんの安全が本当に脅かされたら、桂さんは全力を尽くして兄弟を救助するに違いないと確信した。