【異例ずくめの経団連会長人事】不文律を破って「財界総理」になる筒井義信・日本生命会長は地盤沈下を止められるか
■ タブーを破った歴代経団連会長の経歴 それ以外にも不文律はいくつもあった。例えば、会長は財閥以外から出すというのもそのひとつ。経団連発足時、GHQの指令により戦前からの財閥は解体された。それを受け、経団連会長も、財閥からは選ばれてこなかった。複数の会長を送り出した東芝やトヨタ自動車はともに三井系だが、それでも三菱○○、三井○○という企業トップが選ばれることはなかった。 さらには、経団連会長は現役の経団連副会長から選ばれる、あるいは母体企業で現在も会長もしくは社長に就いていることが条件、なども不文律の一種だ。21世紀を迎えるまでは、この不文律がほぼ忠実に守られてきた。 ところが最近の経団連会長人事は、不文律に縛られなくなってきた。 皮切りは2006年のキヤノンの御手洗冨士夫氏の会長就任(経団連会長就任同日にキヤノン社長から会長に就任)だった。キヤノンは日本を代表する製造業の1社ではあるが、カメラやプリンターなどの精密機器メーカーで、厳密には重厚長大産業ではない。 御手洗氏の後任、米倉弘昌氏もタブーを破った。米倉氏の肩書は住友化学会長。ついに財閥名を社名に冠する企業から経団連会長が誕生した。現会長の十倉氏もまた住友化学の会長だ。 米倉氏にはもう一つの「初」がある。前述のように、過去の経団連会長は、いずれも副会長から選ばれてきた。ところが米倉氏はいったん副会長を務めた後、評議員会議長になっていた。ここから選ばれることは初めてのことだった。 このように、最近の経団連会長人事は従来タブーとされていたことを次々と破ってきた。 そして極め付きは今度の筒井次期会長だ。その異例さを、3つの観点から論じてみたい。
■ 次期会長に筒井氏が選ばれた「3つのサプライズ」 まずは初の金融機関からの選出であるということだ。2代会長で財界総理の名を定着させた石坂泰三氏も第一生命社長を務めていたが、その後、東芝に転じ、そこから経団連会長となった。しかし金融機関の経営者から経団連会長となったのは筒井氏が初だ。 銀行や証券、そして生損保などの金融機関は日本の産業を支えている。しかも生保には機関投資家としての役割もある。しかしこれまでは産業界の裏方という位置付けだったこともあり、経団連はじめ日本商工会議所、経済同友会の3団体トップには就いたことがない。その扉を初めて筒井氏が開いた。 2つ目は株式会社ではない会社から選ばれたことだ。日本生命は相互会社。日本生命の契約者はすべて社員という位置付けで、相互会社はその社員の利益のために経営を行う。そして組織として最高議決機関は、社員の中から選ばれた総代による総代会であり、当然のことだが株主総会は開かれない。 最近の株式会社は、持ち合い株(政策保有株)の減少や、東証のガバナンスコードの見直しなどにより、以前よりはるかに強く株主を意識せざるを得ない。アクティビストの無理な要求にも耳を傾けなければならないし、セブン&アイホールディングスのように、いつ買収の危機に見舞われるかもしれない。 ところが相互会社にはその心配がない。これは経営者にとって大きな安心材料だ。しかし、株主の「監視」がない会社の経営者が、株主を常に意識している株式会社がメンバーの大半を占める経団連を率いていけるのかという疑念も残る。 そして3つめは、筒井氏が経団連会長になる時は、すでに日本生命の会長ではなくなっていることだ。 筒井氏が経団連会長に就任することは12月17日に日経新聞がスクープし、その日のうちに正式に発表された。そして翌18日の日経は、日本生命の社長交代をスクープ。これも同日中に正式発表された。社長交代は2025年4月1日付。同時に現社長が会長となり、筒井氏は会長を外れる。しかも7月の総代会をもって、取締役も降りることになる。 過去に経団連会長が在職中に社長職や会長職から降りたことはあるが、就任時はいずれも現役の社長・会長だった。財界総本山のトップなのだから、会社でも経営トップのある人が就くべきと考えるのは自然のことだ。ところが筒井氏は、その「常識」さえも覆した。 なぜ、このような、少し前までは考えられなかった人事が続くのかと言えば、「人材不足」と「魅力不足」の2つに尽きる。