【異例ずくめの経団連会長人事】不文律を破って「財界総理」になる筒井義信・日本生命会長は地盤沈下を止められるか
■ 「財界総理」の存在感が薄れていったワケ 「財界の総本山」とも言える日本経済団体連合会(経団連)。その名の通り、日本自動車工業会や日本鉄鋼連盟など、業種別企業団体の多くが加盟するほか、大企業と呼ばれる企業の大半が会員に名を連ねる。そのため、経団連の会長は、別名「財界総理」とも呼ばれている。 【写真全12枚】いつから名ばかりとなったのか…歴代「財界総理」の顔ぶれ もっとも本物の総理大臣に匹敵するような存在感を持っていたのは1990年代半ばの、日本経済が世界をけん引する力を持っていた時代までだった。失われた10年が20年、30年となり、日本経済の影響力が弱まるにつれ、財界総理も力を失っていく。 昔は政界と財界は時には角突き合わせて切磋琢磨していたが、今では財界が政界にすり寄る構図が一般化した。当然、財界総理は名ばかりとなった。 そのため、経団連会長が誰になろうと、ほとんどの人は関心を持たない。昔は経済分野の雑誌ではよく「次期財界総理は誰だ」という記事を見かけたが、最近はほとんど見ない。掲載されたとしても、その扱いは極めて小さい。 ところが、12月17日に内定した次期経団連会長人事は、日本経済新聞のみならず一般紙でも大きく取り上げた。なぜなら、現会長の十倉雅和・住友化学会長に代わって2025年5月29日に新会長に就任する筒井義信・日本生命保険会長が、従来の基準に照らし合わせれば会長には絶対になれない立場だったからだ。 経団連の定款には、会長は理事の中から選任するとしか書かれていない。しかし実際にはいくつもの不文律があった。
■ 「経団連会長=重厚長大企業経営者」の不文律 経団連が発足したのは終戦間もない1946年。戦後の復興こそが当時の日本にとって最大のテーマであり、産業界の要望を政治に反映させるために設立された。1970年に高度成長がひと段落するまで、日本の産業とは鉄鋼や自動車、電機などの重厚長大産業とほぼ同義で、インフラをつくり輸出によって外貨を稼いだ。その中心にあったのが経団連だった。 当然、会長人事はそれを反映したものとなり、その結果、経団連会長=重厚長大企業経営者が定着し、やがて不文律となった。 現在の十倉会長までの歴代15人の会長を見ると、製造業が13人を占める。残る2人は、3代会長で前職が経団連事務局長だった植村甲午郎氏と7代の平岩外四・東京電力会長だが、東電は日本経済のインフラそのものであり、植村氏は経団連設立にも関わった戦前の官僚だ。いわば重厚長大産業のインナーサークルだ。 高度成長が進むにつれ、日本ではサービス業などの第3次産業の比率が増えていき、1980年にはGDPの過半を占めるまでになる。同年、ダイエーは小売業として初めて1兆円を超え、その前年には経団連入りを果たしている。 それでも、1980年に第5代経団連会長に就任した稲山嘉寛・新日本製鉄会長は、「小売業は産業ではない」と発言している。自分たちこそが日本経済を支えているという強烈な自負と、第3次産業を見下す差別意識がそこにはあった。それが経団連会長人事を今日まで縛り続けてきた。