一度は閉じられた河口堰を“開門”、汽水域の生態系を取り戻した韓国・洛東江、政治と行政を動かした住民の声
同2015年10月、当時はまだ国会議員(釜山選出)だった文在寅(ムン・ジェイン)氏の視察エピソードも印象的だ。 カンさんはこう振り返った。 「文在寅がまだ大統領候補だったとき、頼んだら視察に来てくれた。船に乗せて河口堰を案内しました。そこで『開門に向けて私も頑張る』という言葉をもらい、実際、大統領候補者としての100の公約に入れてくれた。これが後に中央政府がナクトゥンガン開門を事業として推進することにつながった」 2017年5月、文在寅大統領が誕生し、物事が動き始めた。 ナクトゥンガン河口堰の運用機関は、韓国水資源公社(Kウォーター)だが、その資料によれば、同年7月には韓国環境部(日本の環境省に相当)を中心に可動堰開門に向けた国政課題、つまり水質改善と生態系の断絶解消を目的とした堰の試験的開門を準備する体制を確保した。2019年からは、開門の実証実験が行われた。 その間、協議会は、2016年に非営利団体として登録。定款には、河口堰開門を通して生態系環境を復元することなどが目的に定められている。その達成のために、開門運動、調査・研究、教育・広報、市民参加実践事業、国内外の連帯事業を行うと書かれている。 つまり、愛知県からの視察団の受け入れも、定款に定められた役割の一つだ。 「河口堰開門のために、自治体がすべきことは自治体が、国がすべきことは国が、それぞれの予算で行っています」とカン代表。協議会の活動資金は、釜山市が定めた条例に基づく業務委託の他、協議会に参加する60団体などから集める会費などで賄っているのだという。 国、自治体、市民団体が、生態系復元のために協働しながら、役割を分担している。 ■ 環境万博後、日韓の市民運動は逆転 日本の市民団体が、この協議会とのつながりを持ったのは、2010年に愛知県で開催された第10回生物多様性条約締約国会議(以後、COP10)がきっかけだと話すのは、「長良川河口堰最適運用検討委員会」の委員として今回の視察に参加した⻑良川市⺠学習会の武藤仁さんだ。 武藤さんは、本連載〈川から考える日本「名古屋・河村市長、自ら撤退決めた木曽川導水路事業を目的変更し突如復活の謎」〉でも登場してもらった。 武藤さんは、「COP10の時に韓国のNGO(非政府組織)が日本に来ていました。李明博大統領が仁川から釜山まで、4大河川を運河でつなげる構想があったと聞きました。その頃は、まだ長良川の活動が盛り上がっていて、私たちの方が先生役だった。その後、長良川河口堰の開門運動は下火になり、今回は私たちがナクトゥンガンの運動を学びに来たわけです」という。