海の5分の1を占める「トワイライトゾーン」、手つかずの深海と生きものたちに迫る脅威
地球上で最大規模の大移動が毎日起きている、水深200~1000メートルの闇の世界
カレン・オズボーンは米国の首都ワシントンにあるスミソニアン自然史博物館で無脊椎動物の研究をする動物学者で、「トワイライトゾーン」と呼ばれる水深200~1000メートルの間の暗い層に生息する風変わりな動物たちに精通している。 ギャラリー:想像を絶する、夜の海の生きものたち トワイライトゾーンはその場所柄、訪れるのも研究するのも決してたやすいことではなく、高額な費用がかかる。中深層とも呼ばれ、海全体の5分の1の体積を占めるが、その大部分が未探査だ。ゾーンは光合成に必要な太陽光が届かなくなる深さから始まり、太陽光がまったく届かなくなるすぐ手前まで続く。潜水艇に乗っている人間の目には漆黒の世界に映るが、そこに生きる動物たちはさまざまな“隠し技”を駆使して暗闇を克服し、捕食者から身を守っている。 モントレー湾沖では夜の訪れとともに劇的な変化が進行していた。ほぼ毎日、夕暮れ時になるとトワイライトゾーンの何兆という数の魚やエビ、端脚類、クラゲ、イカが海面付近へと浮上し、捕食者に見つからないよう、夜陰に乗じて食事をするのだ。「紛れもなく地球上で最大規模の大移動が、世界中の海で毎日起きているのです」とオズボーンは言う。 科学者たちは今、この大移動が地球規模の気候の調整に果たす役割について研究している。海面近くに移動して満腹になった生き物たちは、たいてい夜明け前に深海に戻っていく。その際、植物プランクトンが大気中から取り込んだ炭素も一緒に運ばれ、その多くが動物たちの排泄物やえらを通じて、深海で放出される。 海中深くへと運ばれる炭素の量を正確に調べるため、モントレー湾水族館研究所(MBARI)の海洋音響学者ケリー・ベノア=バードと同僚たちは音響測深機を用いて、大移動の詳細を明らかにしようとしている。その機器の一つはモントレー湾の水深1000メートル近い場所に設置され、2年間にわたって2秒半ごとに音波を上方へ送り続けてきた。それが反射するパターンを海中の送受波器で検出して音響測深図に変換すると、海中のどこに何があるのかがわかるのだ。 これまでに、大移動は1日の間に止まったり始まったりすることも、何週間にもわたって起きないこともわかった。ハナゴンドウのような捕食者の存在が、動物たちの動きに影響している可能性があるという。しかし、捕食者よりも大きな脅威がトワイライトゾーンに迫りつつある。 深海の魚を狙う大規模な漁場開発の試みはこれまでもあったが、操業に高額な費用がかかることから頓挫してきた。だが技術の進歩によって、採算がとれる見込みが出てきたのだ。ヨーロッパでは、ハダカイワシやヨコエソなどの遠海魚を対象とする研究や試験的な漁場に多額の資金が投じられている。南極の近海で行われているオキアミ漁のように、将来的に巨大なトロール網にかかった獲物をポンプで吸い上げるような漁が行われる可能性がある。 これらの魚には消化しにくい油やワックスが高濃度で含まれていて、食用には向かない。すり潰して粉末と油脂にし、動物の飼料、特に養殖魚の餌にすることになるだろう。だが、これらの魚の生態についてはまだわかっていないことがあまりにも多く、科学者たちはトロール漁に懸念を抱いている。 ※ナショナル ジオグラフィック日本版3月号特集「トワイライトゾーン 暗い海の生き物たち」より抜粋。
文=ヘレン・スケールズ(海洋生物学者)