まったく歯が立たず…。J2でボロボロだった歴代チーム6選。「魔境」に飲み込まれたクラブは?
サガン鳥栖(2003年)
2003シーズン成績:3勝11分30敗(勝ち点20) 監督:千疋美徳 サガン鳥栖にとっての2003シーズンは、“いろいろな意味で”ボロボロだったと言えるだろう。 攻撃的なサッカーを標榜していた鳥栖だったが、シーズン序盤からその目論見が崩れ去ってしまった。派手な打ち合いになった試合では得点力が及ばず競り負け、ロースコアの接戦に持ち込まれた試合では相手の守備を崩しきれず、なかなか白星を手にできない日々が続く。 第17節から最終節の第44節までは1勝も挙げることができず(7分21敗)、最下位でシーズンを終えた。 スポーツ面で散々な結果に終わった鳥栖は、経営面でも厳しい状況に追い込まれた。以前からクラブ経営陣の不可解な人事、大口スポンサーの撤退といった問題を抱えていたなかで、2003シーズンには事態がさらに悪化。一時はクラブ存続すらも危ぶまれる状態に追い込まれた。 Jリーグからの除名や退会勧告まで視野に入る混迷ぶりに、選手や現場スタッフ、ファンの感情が大きく揺さぶられたのは想像に難くない。 リーグ公式サイトによると、チーム名の「サガン」は長い年月をかけて砂粒が固まって砂岩となるように、一人ひとりが小さな力を集結し立ち向かうことを意味するという。 2003シーズンの鳥栖は、残念ながらクラブ名に込められた想いとは真逆の方向に進んでしまっていた。経営面が安定していれば、スポーツ面でも落ち着きを持って目前の困難に対処できたのかもしれない。
ヴァンフォーレ甲府(2000年)
2000シーズン成績:5勝3分32敗(勝ち点18) 監督:塚田雄二 2022シーズンの天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会初優勝、AFCチャンピオンズリーグ2023/24出場と、近年のヴァンフォーレ甲府は華々しい成績を収めている。だが、2000シーズンのJ2リーグに目を移すと、なかなか白星を挙げられずに不名誉な記録を作るなど苦労の跡が見て取れる。 2000シーズンに臨んだ甲府の登録選手は24人と最低限の人数だった。しかも、そのうち6人はアマチュア契約。結局、選手の頭数が足りなくなる事態が発生し、当時フィジカルトレーナーだった鶴田道弘を急遽プロ契約とするドタバタぶりだった。 選手の登録をめぐる混迷ぶりは、如実に成績へと反映された。第4節・ベガルタ仙台戦に1-0で勝利したのを最後に、チームは6連敗。1分けを挟み、その後は19連敗を喫して最下位でシーズンを終えた。 当時、連勝や連敗は引き分けを挟んでカウントしていたために公式記録上では25連敗となっていたが、のちにカウント方式が引き分けを挟まない形に変更されたことで19連敗に数が減った。とはいえ、クラブ関係者やファンの中に連敗数の減少を素直に喜ぶ者はいないだろう。 なお、2000シーズンに甲府が記録した26戦未勝利記録は、2003年~2004年に30戦未勝利だったサガン鳥栖が更新。さらに、2010年~2011年にかけてギラヴァンツ北九州が35戦未勝利で再更新している。