【伝説の8番】若三杉、13日目に北の湖を破って初V前進 次の壁は輪島「まだ俺がいることを忘れるなよ」…1977年夏場所
大相撲の過去の記憶に残る出来事、勝負を各場所ごとに振り返る「伝説の8番」の夏場所編がスタート。第1回は1977年、大関・若三杉(後の横綱・2代目若乃花)の初優勝をスポーツ報知の記事でたどります。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 9日目に初黒星を喫した若三杉は、10日目の西前頭4枚目・鷲羽山には危なげなく勝利。鷲羽山は右に飛び、上手出し投げの奇襲を仕掛けてきたが、若三杉は全く慌てなかった。がっちりと捕まえると、一気に寄り切った。「昨日の負けでガタガタに崩れてしまうのでは、と怖かった。結果として白星が多いだけで、余裕なんかない。毎日必死なんだ」と胸をなでおろした。玉ノ富士が敗れ、1敗でトップは横綱・北の湖と2人になったが「今場所は稽古不足だし、無理。もう一番勝って、2ケタ(白星)になればいい」と謙虚な姿勢は変わらなかった。 11日目は玉ノ富士を内掛けで下し、迎えた12日目の大関・三重ノ海戦は水入りの大相撲となった。がっぷりの左四つで動かなくなり、3分20秒を過ぎたところで、水が入った。再開後、若三杉はじっくりと取り、上手を切った瞬間、寄り切った。計6分近い熱戦を制し、「疲れた。慎重になっていたわけではなく、精いっぱいだった」と肩で大きく息をしながら答えた。 この日、旭国に不覚をとり、2敗となった北の湖と13日目に対決することになった。鋭く踏み込み、すぐ左前まわし、右上手を取り、頭をつけて一気に寄り切った。会心の勝利。「土俵際、残られたと思った。思い切っていったのがよかった」と、若三杉は興奮した様子だった。初の賜杯にあと「1」と迫った。 14日目の横綱・輪島戦に向けては「思い切ってやる」と闘志を見せた。一方、輪島は「まだ俺がいることを忘れるなよ」と若三杉の初優勝ムードを打ち消すように言った。3敗の輪島は、若三杉に勝つことで、その差を1に詰め、千秋楽にプレッシャーをかけることができると考えていた。その横綱の意地が、若三杉に立ちはだかった。(久浦 真一)=つづく= ◇若三杉 幹士(わかみすぎ・かんじ)本名・下山勝則。1953年4月3日、青森・大鰐町出身。68年7月場所、初土俵。73年11月場所、新入幕。78年5月場所後、横綱昇進とともに、師匠の現役名の若乃花を襲名。83年1月場所で引退。優勝4回。殊勲賞2回、技能賞4回。通算成績は656勝323敗85休。22年7月16日、死去(享年69)。現役時代は186センチ、133キロ。引退後は間垣部屋を興した。
報知新聞社