動き始めたエネルギー基本計画 ”従来型”発想から脱却の時
気候変動問題においては、その政策は多くの場合、「野心的」であることが求められる。「野心的」とは、裏を返せば簡単には実現できそうにないことを意味し、従って「実現可能性に乏しい」という評価は批判にあたらない。むしろ、気候変動問題には必要な要件である。 第2に、第6次エネ基の前提となっている30年46%減という値は、必ず達成すべき削減目標とみなされることが多いが、厳密にいえば従来の温暖化政策における削減目標とは意味合いが異なる。これは、正しくはNDC(Nationally Determined Contribution:自国で決定する貢献)と呼ばれ、こちらも国際官僚特有の言い回しであり、「目標」という表現は回避されている。 NDCはある種の国際公約ではあるが、京都議定書時代のような罰則規定のある必達目標ではない。パリ協定以降はNDCを国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP)に「提出する義務」があるだけで、「達成する義務」はないからだ(ただし、欧州連合〈EU〉圏内では罰則規定があり、30年のNDC未達見込みのドイツやイタリアは、スペインなどの超過達成国から排出クレジットを購入する義務がある)。 第3に、東京電力福島第一原子力発電所事故が発生し、16年に電力が自由化されて以降、電源構成比の将来目標を持つことの意味は相当程度薄れていることだ。 自由化前の「9電力体制」の時代、一般電力事業者は、地域独占が認められた代わりに事実上の安定供給義務を課されていたが、自由化後の電力は供給責任の所在があいまいになっており、たとえ国全体の電源構成の割合の目標を持ったとしても、「自由化」している以上、その目標を権限と能力を持って達成する責任主体が存在しない。 従って、第6次エネ基を現実的に修正せよと批判する人たちは、目標とはいえないような数字を前提に作られた、全く目標ではない数字を勝手に「必達目標」だと解釈し、それを実行するのが誰なのかさえ曖昧なまま、実現不可能だと注文をつけていることになる。
エネ基の議論に潜む「誤解」今期の鍵となる2つの政策
まず認識すべきなのは、外交上野心的なNDCを掲げざるを得ない現代において、自由化されたエネルギー産業に対し、NDCと整合し、かつ現実的な個別の数値目標をもつ「基本計画」を作ることはもはや不可能であるという現実だろう。 ※こちらの記事の全文は「Wedge」2024年9月号で見ることができます。
大場紀章