【日本が世界のビジネスをリードするために】いまこそ再評価したい“日本流”の長所と課題
6:【日本流カルチャーはどのように生まれたか】戦後日本文化が成熟した鍵は“異文化への憧れ”(2009年10月7日)
すばらしい文化との出会いは、その国のイメージをも良くすることがあります。結果、そうしたイメージが、現代の多文化世界における国家間の関係を好ましいことにすることもあるでしょう。 文化人類学者としてアジア諸国をフィールドワークし、タイにおいては僧修行まで経験している青木氏と、日本のポップミュージックに憧れて来日したバラカン氏は、それぞれどのようなきっかけで海外文化に興味をもったのでしょうか? まずは、お二人にその体験を伺いました。 編集部(以下――) おふたりに伺いますが、最初に他国に興味を持ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか? バラカン わたしが生まれたイギリス以外の国に興味を持ったのは、最初はアメリカでした。きっかけは、アメリカの映画だったり、ポピュラー音楽だったり。まさにソフトパワーと言われるものですよね。ただ、当時のアメリカのソフトパワーというのは、軍事力があってこそのソフトパワーでした。戦後のアメリカは、圧倒的な軍事力を持っていたということと、文化の力が一体となって切り離せなかったように思います――。 異文化に憧れたとき 青木保(前文化庁長官)×P・バラカン(ブロードキャスター)
WEDGE編集部